誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(52):★★★バート・ケストリッツ Bad Köstritz -7-

★★★バート・ケストリッツ Bad Köstritz -6- からの続きです

最後にここまでで漏らした情報をアップしておきます。バート・ケストリッツは「花のダリア(Dahlien)」でも知る人ぞ知る町なんだそうです。

市の公式サイトに下記の解説があります。

メキシコで生まれたダリアの野生種は、1789年にスペインに渡り、その後西ヨーロッパの数カ国に伝わった。

1804年にアメリカに渡ったフンボルトは、赤やオレンジ色の野生種の種子を持ち帰り、パリとベルリンの植物園に寄贈した。ワイマール近郊のベルヴェデーレ宮殿には、1806年には早くもダリアが到着している。ケストリッツ公ハインリヒ13世ロイスは、ワイマール大公カール・アウグストの宮廷と密接な関係を保っていたので、1808年に初めてダリアがワイマールからケストリッツに持ち込まれたと思われる。

1812年、若き日のクリスチャン・ディージェン(1798-1888)は、ワイマール、イエナ、ライプツィヒの植物園で初めてダリアを入手し、故郷のカハラで熱心に栽培した。やがて、「ゲオルギーヌ」(ドイツ語圏での旧名称)がかなりの数集まってきた。宝くじが当たって裕福になったクリスティアン・デーゲンは、1824年にケストリッツに移り住み、公園のような庭のある王宮を手に入れた。1826年、彼はゲオルギーヌとともにドイツ初の商業用苗床を開設した。同年、最初のカタログ「Samenpflanzen und Georginen」(種子植物とゲオルギネ)を出版し、その後60冊を出版した。

ケストリッツには、デゲンの商業用苗床のほかにも、翌年には他の苗床が設立された。1836年、ドイツのダリア栽培の第二の老巨匠、宮廷庭師ヨハン・シエックマンが苗床を開設し、ケストリッツは「花の産地」としてヨーロッパ中にその名を知られるようになったのである。ケストリッツ出身の3人目の有名な庭師は、芸術家のエルンスト・ヘルガー博士である。また、バラ栽培でも高い評価を得ており、ドイツのハイブッシュローズ発祥の地はここケストリッツの庭園である。

現在、バート・ケストリッツには園芸の伝統を受け継ぐ企業がいくつかあり、一部は別の施設に移っているものの、園芸の伝統は受け継がれている。その代表的なものが、園芸会社の「パウル・パンツァー」、「フランツ・ディーゲン・ジュニア・ナッハフ」、そしてシエックマン直系の「シャーデ」社である。

これらの園芸の伝統は、2007年に新設されたダリアセンターで培われ、40年以上にわたって、ダリアが満開になる9月初旬に「バート・ケストリッツァー・ダリア・フェスティバル」を開催している。ダリアはイベントの中心であり、「最も美しいケストリッツァーダリアの選出」は、このフェスティバルのハイライトとなります。祭りの主役はダリアクイーンである。その最も崇高な使命は、地域の境界を越えて遠く離れた都市を代表することである。魅力的な文化プログラムや、商人や興行師の色鮮やかな喧騒は、毎年、近隣や遠方から訪れる何千人もの人々を楽しませている。

おまけ:ビール醸造所の見学レポート動画です(笑)

★★★バート・ケストリッツ Bad Köstritz の章を終わります

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