誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(52):★★★バート・ケストリッツ Bad Köstritz – 3 –

★★★バート・ケストリッツ Bad Köstritz -2- からの続きです

前章のグライツを流れていた「白エルスター川Weiße Elster)」の沿岸にある町で、駅から歩いて来ると橋を渡ることになります。橋を渡ったところにちょっと不思議な建物があります。

ロッゲンミューレ(Roggenmühle)と呼ばれるこの製粉所・発電所は、市の公式サイトによれば「この工場の起源は15世紀末だと思われる。挽き物工場、油脂工場、なめし工場が存在し、重要な領地を有していたことが初めて確認されたのは 1567年に遡る。工場の歴史は、1853年に土地台帳が作成されて初めてたどることができる。当時は 6つの歯車で構成され、製材所も併設されていた。19世紀後半には、水車に代わってタービンを駆動源とする工場となった。

1904年の大火事で工場の一部を焼失したが、翌年にはサイロ、工場棟、居住棟を備え、最新技術を導入して大幅に規模を拡大して再建された。第一次世界大戦の影響で、その後数年間は売上が大きく落ち込んだ。そこで、製粉業者は水の力を電気に変え、公共の送電網に供給することにした。その後、電力生産はさらに拡大された。1924年には、すでに 80万kWhを生産していた。

1954年の世紀の大洪水では、ミュールグラーベンとエルスター間のダムに穴を開け、水塊を排出した。この洪水で 2名が亡くなるという悲劇が起きた。堰、橋、工場の外構が破壊された。翌年には、その損傷を修復し、新しい堰を建設した。1970年代に入って、これがまたリニューアルされた。1972年、この工場は収用され、ゲラ穀物工業に編入された。前オーナーが工場長に就任し、工場は解体され、豚の飼料を製造するための簡単なグリストとミキシングプラントが設置された。水力発電所も 1980年以降、使われなくなった。1990年に採算が合わなくなったため、最終的に生産活動を終了しました。

最後の経営者であり 57年間この工場を経営してきたヘルベルト・アウグスト・ミュラー氏は、1992年に 97歳で亡くなった。その前年、孫のウド・ミュラーは、旧工場跡の建物を Treuhandanstaltから譲り受けた。2年後に水力発電所を再建し、2基のタービンで 120万kwhの電力を生み出している」・・・とあります。

2010年 11月の地元紙によれば「Bad Köstritzerのライ麦工場跡に建設されるアドベンチャーホテルの設計図全 20案のうち 7案が発表されました。小さな町が 2軒目を許容するのかどうかという疑問も出てきた」・・・とあります。折角の建物を何かに活用できないか?ということのようですが、簡単ではなさそうですね。

ちなみに、このような川を利用した発電所で不思議な形をしたものは他にもあります。例えばこちら。

また、私が住んでしたリューネブルクは、ハンブルクから比較的近い観光地で、川の上の製粉所・発電所をホテルに改造して成功しました。

★★★バート・ケストリッツ Bad Köstritz -4- に続きます

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