- 2018-8-16
- ブログ
日本ではお盆休みや終戦記念日で、その関係の特番が流れることが多い週ですが、今から57年前の1961年8月13日、ドイツでは所謂「ベルリンの壁」が構築され、ドイツの首都だったベルリンは東西に二分されました。当時、小学二年生だった私は学校のイベントで出かけたディスニー映画の鑑賞会の前に流された、モノクロのニュース映画をいまだに鮮明に覚えています。
銃を持った兵士がおり、煉瓦を積んだり窓を塞いだりする人がおり、窓から飛び降りる人がおり、鉄条網が張られ人々が走り回っている…緊迫した音楽をバックに流されたそんなニュース映像が何を意味するものなのか、小学二年生には意味不明でしたが、なにか大変なことが起こっているらしいということは感じたものです。
ベルリンの壁をよくご存じない方や世代の為に改めて書きますが、ベルリンの壁はブランデンブルグ門の前だけに有ったのではなく、上のベルリンの分割統治図の青(フランス)・緑(イギリス)・黄色(アメリカ)統治区域を纏めて高さ約 4m、全長約165km にも及ぶ壁でグルっと囲い込む形で存在していたのです。壁の崩壊というと、群衆がブランデンブルグ門の上によじ登りハンマーで壁を壊している写真が印象的・象徴的ですが、実際には 165km にも及んでいたのです。
しかも、それは「壁で囲まれた西ベルリン市民を閉じ込めるためではなく、東ベルリンや東独市民が西ベルリンに『駆け込む』のを阻止する」という目的で設置されていたのです。ご苦労さんなことですね・・・。世界には、そんな目的で設置されている壁はもう残り少なくなりました・・・。