- 2021-9-18
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ベルリンに戻る為に駅に戻りますが、同じ道を戻るのは避けて、少し遠回りながら町の東の方を通って帰ります。
ヨーロッパでよく見かける「ヤドリギ」です。
日本では『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ「宿木」として登場しますが、あまり頻繁に見かけることは無いように思いますが、ヨーロッパでは北ドイツやベルギーなどでよく見かけます。常緑樹なので、落葉樹の枝に寄生すると、冬に葉が落ちた時にこういう感じで球のようなヤドリギが多数姿を現します。
あまり詳しくはないですが、こちらにも記事をアップしてあります。
学校が見えてきます。「Dr. Georg Graf von Arco」という人の名前を冠しています。
Wikipediaによれば「ゲオルク・ヴィルヘルム・アレクサンダー・ハンス・グラーフ・フォン・アルコ Georg Wilhelm Alexander Hans Graf von Arco(※1869年8月30日、プロイセン王国シレジア州グロース・ゴルシュッツにて、1940年5月5日、ベルリンにて)は、ドイツの物理学者、電気技師である。
1903年に設立されたテレフンケン社の2人の常務取締役のうちの1人として、1931年まで技術部長として科学技術分野を担当していた。ゲオルク・フォン・アルコは、強力な送信機の開発で主導的な役割を果たし、師匠のアドルフ・スラビーとともに、ドイツにおける高周波技術の研究開発に尽力した人物である。(中略)
フォン・アルコ伯爵の最大の功績は、1906年にテレフンケン社がすでに運用を開始していた大規模なラジオ局「ナウエン」の拡張であり、これによりテレフンケン社は世界的な企業へと成長していった。1909年には、ナウエン無線局に火花送信機を設置させ、実験局から定期的な無線通信が可能な局へと変えた。これで、アフリカにあるドイツの植民地と帝国海軍の艦船との連絡が可能になった。
Von Bundesarchiv, Bild 102-12242 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link
10年後の1918年には送信出力が10倍になったが、これは1912年に導入された磁気周波数変換器付き高周波機械式送信機という、まったく新しい送信機の技術があって初めて実現したものである。これにより、ほとんど減衰していない電磁波を高出力で発生させることが初めて可能となった。フォン・アルコはこの開発に大きな役割を果たし、電子管が登場してすぐに電子管の実験を開始した。」・・・と、やはりナウエンの放送局に縁のある人のようです。
↓↓ 冒頭の航空写真をご覧頂ければと思いますが、町の東側には、旧市街に匹敵するくらいの巨大な面積のソーラーパネル発電設備があります。まあ、土地は余りまくっているからな~(笑)
↓↓ 「郷土愛は犯罪じゃないぜ!」って書いてあります。まあ、その通りですが・・・なにやら政治的な主張のニオイがしますね。このあたりは AfDが強かったりするのか・・・
↑↑ ↓↓ こういう鉄製の低いフェンス(+少しデコボコした舗道)は典型的な旧東独の風景です。