誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(29):★★ハレ(ザーレ)Halle (Saale) -4-

ハレ(ザーレ)Halle (Saale) -3- からの続きです

マルクト広場に入り視界が開けます。「マルクト広場は、ハレ(ザーレ)の旧市街の中心的で歴史的に重要なメイン広場で、ドイツで最も大きなマルクト広場のひとつとされています。Hallmarktと並んで、中世の集落の中心地の一つです。広場には、赤の塔(Roter Turm)聖母マリア・マルクト教会(Marktkirche Unser Lieben Frauen)ラーツホフ(Ratshof)シュタットハウス(Stadthaus)、デパート「Julius Lewin」、Marktschlößchenヘンデル記念碑など、重要かつ存在感のある建物群があります。マルクト広場の南東側は、1945年以来、未完成のままです。ここには、シュタットハウスヘンデルの記念碑、ラッツホーフの間に歴史的な計量秤旧市庁舎が建っていました。(独語Wikipedia)

 
↓↓ 天気がイマイチなのが残念ですが、マルクト広場はこういう印象です。


↓↓ マルクト教会や「赤の塔」も存在感がありますが、私が気になったのは動画の後半に出てくる「ラーツホフ Ratshof」という建物です。所謂バロックやゴシック様式ではなく、かといって旧東独時代の妙に近代的で安っぽい様式でもありません。この建物は、1997年 11月 9日(ベルリンの壁崩壊から 8年後)、私が最初にこの町を訪れた時にも気になって写真を撮っています。↓↓
 

動画の解説によると、」この ハレ(ザーレ)のラーツホフ Ratshofは、もともと市場の広場に直接置かれていたわけではなく、旧市庁舎の後方に置かれていました。5~7階建ての立方体の建物は、1929年に都市建築家ヴィルヘルム・ヨストの指揮のもと、市内に散在していたオフィスを集約するために建てられました。この建物は、市庁舎、計量秤、町の家とともに、町の行政に属し、市場広場の東側の中心に位置していました。第二次世界大戦終了直前に旧市庁舎が激しく破壊され、1948年に市庁舎が取り壊された後、2列目から前に出たラッツホーフは、今日では、新建築、表現主義、新古典主義の様式的要素を持つ冷静なモニュメント形式のトネリコの面影を残し、遠くからでも広場の印象的な特徴となっています。」

建物の内部は、26×20メートルの全面ガラス張りのアトリウムが特徴的で、元々は Mitteldeutsche Landesbankのカウンターホールがあった場所です。現在、この場所には市民サービス(住民登録所)が置かれており、当時の銀行と同様に、ライプツィガー通りから柱状のホールを通ってアクセスすることができます。印象的だったのは、残念ながら現在は使用されていないパたスタノー式エレベーターです。これは 12のキャビンで構成された乗客用エレベーターで、建物内の一般人の通行を可能にしていました。

Altes Rathaus Halle mit Händel-Denkmal.JPG
Von Autor unbekannt – photograph of 1905 postcard, Gemeinfrei, Link

ラーツホフの設計には、Burg Giebichenstein美術工芸学校の工房が大きく関わっています。南東の角にはピラミッド型の角塔があり、Leipziger Straßeへの眺望のポイントとなっています。 また、南西の端には高さ 2.20~2.75メートルの 5体の実物大の立像があり、目を引く存在となっています。このフィギュアは、Burg Giebichenstein応用美術学校の教師であり、彫刻家、金属工芸家でもある Gustav Weidanzがデザインとモデルをもとに制作したものです。なお、このフィギュアは戦時中に金属供出指示で溶かされ無くなっていましたが 1983年に複製されたものです。
この建物の上階からマルクト広場を見下ろした Web Cameraへのリンクです。

ハレ(ザーレ)Halle (Saale) -5- に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る