- 2026-7-31
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ビュツォウ城
司教の宮殿(別名:ビュツォウ城)は、かつての司教城――13世紀に築かれた中世の低地城郭――の元の城郭敷地にある。16世紀の間に、この宮殿はルネサンス様式の城へと改築され、それ以降はウルリヒ、メクレンブルク公の公爵の別邸として機能した。現在は、ロストック郡のビュツォウ市にあるシュロス広場に位置している。
沿革→ 主な記事:ビショフスブルク(ビュツォウ)#沿革
シュロスプラッツ(Schlossplatz)にある、歴史的な旧大公国 Amtshaus(役所)の建物です。現在は子ども向けの放課後保育施設やレクリエーション施設(Hort und Freizeithaus am Schlossplatz)として利用されています。建築の歴史: 19世紀に新古典主義様式で建てられた歴史的建造物で、かつては裁判所(Amtsgericht / Kreisgericht)としても使われていました。現在の用途: 市が運営する小学生向けの学童保育(Hort)や、子供・若者向けのレジャー施設(Freizeittreff)が入っています。
歴史的建造物「ヴァイバーハウス(Weiberhaus Bützow)」です。かつてのビュッツォウ中央刑務所の敷地内(シュロスプラッツ3番地)に位置する、1902年築の元・収容施設です。建築家アドルフ・プラースト(Adolph Prahst)によって改革建築様式(ユーゲント・シュティール)で設計されました。現在はビュッツォフの文化・歴史を伝える街の重要な記念建造物となっています。
このブロンズ像は、ドイツのビュッツォー(Bützow)にある宮殿広場(Schlossplatz)に設置されている「Der Gefesselte(縛られた者 / 囚われた者)」という題名の彫刻です。この場所にはファシズム犠牲者の記念館である「クルメス・ハウス(Krummes Haus)」があり、その開館に合わせて1985年5月3日に除幕されました。歴史的背景ビュッツォーには1839年から続く「ドライベルゲン刑務所(Zuchthaus Bützow-Dreibergen)」が存在します。
ナチス政権下の1933年から1945年にかけて、ここには多くの政治犯や強制労働者、反ナチスの人々が収監され、大戦末期にはナチス司法による残酷な処刑場としても使われました。このブロンズ像は、当時その監獄で苦しみ、命を落とした約700人の犠牲者たちへの追悼と、ファシズムへの警告(Die Opfer mahnen)を込めて、広場の記念碑として建てられたものです。
歴史的建造物「クルンメス・ハウス(Krummes Haus)」です。歴史と利用:15世紀に建てられた古い建物で、かつては司教の城の一部であり、大学教授の住居やメクレンブルク初の公共図書館としても使われました。現在の施設:現在は郷土資料館(Heimatmuseum Bützow)、市立図書館、およびかつての政治的迫害に関する記念・資料館として活用されています。
帰りも Schlossplatzから駅までバスに乗ってズルをします(笑)
この日は鉄道の Schwerinから Bad Kleinenまでの区間が工事中で運休となっており、Bad Kleinenまで鉄道で行ってバスに乗り換えることになります
珍しく駅に売店があったので時間つぶしにビールとゼクトを(笑)Rotkäppchenとは「赤ずきんちゃん」という意味ですが、東独の有名なゼクトのブランドが生き残ったものです。
ウクライナから来たという足を負傷した若者が居たので一緒に呑みます。戦争の最中で、負傷しているとはいえ若い世代が戦争に巻き込まれているウクライナの国外にいるのはワケアリなんだろうなあ・・・と思いつつ、そこには触れず、戦争に巻き込まれていない平和な日本に安堵しつつ・・・ちょっとした寄付として €50札を握らせました。彼は何度も固辞しましたが、まあオヤジの世代からのささやかな寄付だよ、受け取ってくれ・・・と!






































