- 2026-7-28
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メクレンブルク=フォアポメルン州のビュッツォウ Bützowをご紹介します。訪問したのは 2025年 5月 2日です。
ビュツォウ [ˈbʏt͡soː] は、北ドイツの小さな町(Kleinstadt)であり、かつては司教の居城や大学都市として知られ、ロストック郡の中メクレンブルク地方にあるヴァルノウ川沿いに位置する。同市は、さらに11の自治体が属するビュツォウ=ランド行政区の行政中心地である。また、この町は周辺地域にとっての基幹拠点となっている。
この町はメクレンブルク=フォアポンメルン州の北部に位置する。基底モレーンとモレーンに挟まれたヴァルノウ川の広い渓谷が、ビュッツォウを北西部と南東部の2つの区域に分けている。北側にはビュッツォー湖と、ネーベル川がヴァルノウ川に合流する地点がある(独語Wikipedia)・・・というような町です。
ちなみに連邦建設・都市・地域研究機関では小都市(Kleinstadt):5,000~20,000人・中都市(Mittelstadt):20,000~100,000人・大都市(Großstadt):100,000以上と分けているんですね。
地図は Wismarや Güstrowで使ったのと同じものをアップしておきます。Güstrowから Wismarの方に 10kmほど寄ったところにあります。まあ Wismarや Güstrowを★★★としたんだからここは★★★でいいでしょう。行かれたことのある方はおられますか?
| Wappen | Lage | Data |
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独語 Wikipedia
Bützow の公式サイト
Bützow の観光サイト
Liste der Baudenkmale in Bützow
この町には流石に来たことはありません。今回が初回訪問です。
でもなんでこんなところに?一応町の存在は知っていました。この辺りの歴史を調べていると時々名前を見かけます。あと、動画を検索していて、東独時代のこの町のもので「トラバントがパタパタパタという排気音をたてながら Lange Strasseを走ってきて Rathausの方角に曲がっていく」ほんの 10秒ほどのものがあったんです。東独末期のボロボロの街並みで、Gloomyな曇り空で・・・そんな動画に心惹かれたんです。変態ですね(笑)それに Güstrowは隣駅でローカル列車で 9分、Güstrowまで来たなら寄らない手はありません。
歴史
町の名称
1171年以降、この地は Butissoweあるいは Butessoweと呼ばれ、1229年からは短縮形として Buszoweまたは Butzowと呼ばれるようになった。比較言語学の知見によれば、この地名は、ポラビア語における人名 Butiš、Budiš、あるいは Bytišの短縮形に由来する。これらは、Budizlawというフルネームの一部であり、この名前はソルブ人、チェコ人、ポーランド人の間でも用いられていた。したがって、ビュツォウは Budišまたは Budizlawの地ということになる。
中世
1171年、ビュッツォウ地方(Terra Butissowe)にあるスラブ系のホップフェンヴァルにある公爵の城(castrum Butissowe)が言及された。1180年頃、ビュッツォウはベルノ司教のもとで初めて司教の居城となり、1229年には同司教による最初の公文書が残されている。おそらく1229年以降、ドイツ式の都市として計画的に整備が進められ、1236年に都市権を付与された。この都市はシュヴェリーン司教の所有下にあった。1239年にはシュヴェリーン司教区の主要な居城となった。1248年には、聖エリザベス市教会の参事会修道院が設立された。教区議会はビュツォウで開催された。1252年、ビュツォウ市の要塞化と司教城の建設が始まった。1270年以降、ここには大助祭区が置かれた。1468年、共同生活修道女会のためのベツレヘム修道院がロストック門の前に設立され、1469年にヴェルナー司教によって規則が定められた。宗教改革後、ウルリヒ公の妃であるエリザベスは、1567年に同修道院を公爵領の救貧院および病院へと改組した。1540年、シュヴェリーン大司教区は世俗化された。ビュツォウはメクレンブルク公爵家の支配下に入った。1556年、ビュツォウ城の新築工事が完了した。1586年、シュヴェリーン=ビュツォウ司教区の管理者として、ウルリヒ公はビュツォウにおける公爵領の製紙工場の建設を承認した。1588年、ビュツォウ市の市議会と市参事会員は、貧しい市民を収容するための市営市参事会救貧院の建設を決定した。
駅から町の賑やかなところまでは約 1.5kmほど離れているようです。間にあるのは湿地帯のようなものでしょうか・・・
・・・ということで、駅からはズルをして(笑)バスに乗ります
これは町の入り口ではなくドンづまりの奥の方です。奥まで行って駅に戻るように歩きます。
廃墟化した家屋の前には立ち入りをブロックする低いフェンスがあります。漸く予算が回ってきてリノベーションが始まるのでしょうか?
靴職人の家屋のようです。外壁には「Heinrich Biehl, Schuhmachermeister(靴職人マイスター、ハインリヒ・ビール)」という往時の看板をしめす文字が残されています。







































