誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(74)★★★ グラァボウ Grabow -8-

★★★ グラァボウ Grabow -7- からの続きです

さて、この後日談について書いておきます。実は町で出会った私と同年代の女性の相方からメールを貰ったのです。

Sehr geehrter Herr Ohno

Meine Frau erzählte das sie mit Ihnen über die Mühle in Grabow gesprochen hat, wäre gerne dabei gewesen, dann hätte ich gleich mit Ihnen eine Stadtführung gemacht.
Grabow hat im Jahre 1252 das Stadtrecht bekommen, was Sie an Fachwerkhäuser gesehen haben , stammt zum großen Teil von 1725.
Ich lege im Anhang noch Bilder der Mühle aus dem Jahre 1917 bei.
Viele Grüße aus Grabow sendet Ihnen Manfred S. (Mailanschrift habe ich von der Bäckereiverkäuferin bekommen, wir sind befreundet.)

大野さんへ
妻から、グラボウの製粉所についてあなたに話を聞いたと聞きました。
グラボーは 1252年に町として認可され、あなたがご覧になったファッハヴェルクの家々のほとんどは1725年に建てられたものです。
1917年の工場の写真を添付しておきます。
グラボウからマンフレッド.S (メルアドはパン屋のおかみさんから教えてもらいました。大変嬉しかったです)

この町に来てから、私はずっと、かつて住んでいたリューネブルクのことを考えていました。リューネブルクにも、製粉所や水力発電所としては役割を終えた建物があるのです。

この建物は町の有力者と市の肝いりのプロジェクトでホテルに生まれ変わり成功を収めています。

これがこの町グラァボウで成り立たないのでしょうか?成り立たないとすれば何故か?もし成り立たないとすればグラァボウはどうやって「身を立てていけばいいのか?」・・・

1.まずリューネブルクとグラァボウの立地の違いです。リューネブルクはメトロポリスのハンブルクから列車でも 30分、ハンブルクの経済圏に完全に組み込まれています。それと比べるとグラァボウは、一番近い町でもルードヴィッヒスルスト・・・ベルリンやハンブルクからは遠すぎます。敢えて言えばシュヴェリンになんとか「ペグ」できれば・・・というところでしょう。

2.二つ目にリューネブルクは、発電所だけでなく、数々の観光アイテムを有しており、それが有機的に繋がって全体として魅力的な集客装置として機能しています。グラァボウも、それなりに魅力的なアイテムはあるのですが、それらを合わせてもある「閾値」を超えていないように思われます。

3.三つ目は人口です。リューネブルクは6万人の町に対して、グラァボウは5千人・・・10倍以上も開きがあります。町のパワーや、具体的なアクションを起こす際にの推進力は、有能な人物がいることも重要ですが、はやり人数はモノをいうと思うのです。

では、町の人口が数千人の規模の町は「最少催行人数」を割ってしまって衰退する一途なのか?それはもったいないなあ・・・こんな素敵な町が衰退の道しかないなんて・・・

ここまで70以上の町を見てきて、申し訳ないが「どうにも救いようのない町、救いようがなくなってしまった町」というのは確かに存在します。町のリノベーションと引き換えに活気を売り渡してしまった町・・・どことはいいませんが、そういう町は数多くあります。私にはグラァボウがそういう one of themとはどうしても思えないのです。まだまだやりようでどうにでもなる!

リューネブルクは、かつては旧東独との国境の町で、国境警備隊(Bundes Grenzschutz)や国防軍(Bundeswehr)の兵舎(Kaserne)が立ち並んでおり、兵士も万単位で駐留していました。それが「無用になった」今、それを改造して大学に変えたのです。何万の兵士が同数の学生に置き換わる・・・文化的にも、経済的にも、町の活気の面からも大きな貢献をしています。なんか、そういうのもヒントなのかも知れません。

★★★ グラァボウ Grabow の章を終ります

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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