- 2023-10-15
- トピックス
ハマスの突然のイスラエスへの攻撃に対して、イスラエルが大規模な反撃を始めようとしています。日本の報道は、偏向とまでは言いませんが、何故か「強力な武装国家イスラエルが、天井の無い牢獄とも言われるガザ地区に閉じ込めた貧しいパレスチナ人を虐めている」・・・という視点に立つものが多く、中にはかつてパレスチナ解放戦線を支持し、テルアビブ空港で銃撃テロ事件を行った日本赤軍幹部「重信房子」の娘をレポーターに起用するなど、意味不明なものさえあります。
そこで、この戦争を考える視点として、私の中高大の先輩の溝口直人さんのブログ記事をご紹介しておきます。歴史を踏まえ、偏らないモノの見方が皆様の参考になるものと思う次第です。昨年の5月にウクライナ・ロシアの戦争に関するコメントを一度ご紹介したことがあります。
溝口 直人 / マネージングディレクター(DRCキャピタル(株)サイトから)
1972年、三菱商事(株)に入社。技術関係取引に従事後、ハーバード・ビジネス・スクールに会社派遣留学。卒業後、主に豪州の石炭マーケティング・投資事業に従事、豪州における石炭採掘JV企業における役員を務める。1998年三菱商事の金属資源企画開発部長。1999年に三菱商事証券(株)を取締役副社長として立上げ、プライベートエクイティー・ファンドへの分散投資など機関投資家向け投資商品を企画・開発する。2000年より、三菱商事新機能事業グループの事業戦略室長(兼)CIOとして、金融・IT・コンシューマー・ヘルスケア等事業分野における新規事業の経営戦略や部門内情報システムを統括。2005年にDRCグループに参画。現在、(株)好日山荘、チャンルージャパン(株)取締役。
【始まってしまうガザ戦争 その②
ー 「パレスチナは可哀そう」シンパについて】
★ 日本では、イスラエル・シンパが多い米国等とは異なり、イスラエルそのものへの心情シンパは非常に少なく、パレスチナへの心情シンパが多い。そこで、先般ここに書いた重信メイ氏のような不適切解説者まで出てくるほどに、パレスチナ応援型の意見や報道も多い。
・・・そこで、今さらではあろうが、改めて歴史・推移を確認しておきたい。
・・・ザックリ言うと、WWII直後のイスラエル建国以降は、国連決議の無視度合いで見ると圧倒的にイスラエルが「完全無視の連発」であり、それだけで見ると、もう「イスラエルが悪い」論には、殆ど否定する余地がないくらいになる。
◆ しかし、私は全くイスラエル擁護派ではないが、もう少し、俯瞰的に推移を確認してみたい。
【1】ディアスポラ:
・イエス・キリストなどがいたユダヤ国(ローマのユダヤ属州だったが)は、AD66年のユダヤ戦争でローマに反乱、132年の再反乱を最終鎮圧され、ユダヤ国は完全解体となる。多数のユダヤ人が欧州方向に離散。パレスチナ地方からユダヤ人国家は完全に消失するのだ。
【2】WWII後のイスラエル建国:
・しかし、世界に離散したユダヤ人は2千年近く、ユダヤ民族の復興への神のご計画を信じ、19世紀末からはシオニズム運動(元のイスラエルの地への帰還の悲願と、ユダヤの国の再興)を起こしてきた。
・そして、WWIで、ドイツに苦戦中だった英国は、1917年にいわゆる「バルフォア宣言」で、戦勝後にはパレスチナにユダヤ民族の“郷土”を作ることを連合国内で決め、ユダヤ人支持国の米国を連合国側に引き入れて、米国の参戦を勝ち取ったのである。斯くして、英米らはドイツに勝利。
・WWI後、地域は英国の委託統治になったが、それから暫くして、WWII終戦後の1947年に、遂に国連決議で、パレスチナ分割、ユダヤ人国家イスラエルを作ることが決まった。
・・・その決議での分割案だが、添付の図の左側の地図の通り、無理に作るイスラエル地域(緑色)がやけに広い、全くイスラエル寄りの分割案だった。
【3】数次のイスラエル・パレスチナ、イスラエル・アラブ戦争:
・1947年に無理やりに作ったイスラエルが大きく広いので、即、1948年にパレスチナ・イスラエル戦争になり、右の地図のGreen Lineを境界と定める停戦になるが、そこから、数次の戦争、イスラエルの武力占領を経て、WestBankにおけるパレスチナ実効支配地域は黄色い処だけに追いやられ、また南のガザ地区では、一旦、イスラエルが占領し、その後、撤退したが、イスラエルが封鎖状態にして今に至っている。
◆ これがザックリの経緯・歴史だ。
・・・ここから、私が変にイスラエル擁護者と誤解されないように留意しつつ敢えて書くと以下だ。
(1) 1947年の国連による分割、イスラエル建国に向けての決議以降の、現代70年の推移だけ見ると、皆が感じる通り、無茶してきているのは9割以上イスラエルであろう。
(2) しかし、2世紀にデイアスポラで国を喪失しつつ、ユダヤ人再結集のイスラエル再興を1800年間もの間の執念とし、何時の日かの「神による実現」を信じてきたユダヤ人だ。パレスチナ地域にイスラエル再建なんかすると、どうなるのか誰でも分かっていたはずだ。それにも拘わらず、自分の対ドイツ戦争を有利にするための自国エゴで、ユダヤの大シンパ国の米国を抱き込むため、パレスチナをユダヤ人に “売り渡した” のが英国なのだ。最も身勝手、無責任は英国であろう。
(3) そして、このころは未だ後の石油でのパワーを発揮する前のアラブ人たちは、英米の前に、イスラエル建国を押し付けられても、泣くしかなかったのである。
(4) 更に、建国をさせてもらったイスラエル・ユダヤ人だが、アラブのど真ん中に人為的に国を作ってもらったので、建国の初日から、周囲との永遠の戦争を覚悟することになったのだ。しかも、神が再び与えてくれた国だ。どんな事があっても戦って守り抜き、究極的には地域全体をユダヤの神の国にするのが彼らの「使命」になったのだ。
◆ 今回の10月7日のハマスのイスラエルへの残虐攻撃は、このように絶対譲らないが強大なイスラエルに、サウジまでもが言い寄ろうとしたことに強い危機感を感じたハマスとしての、「起死回生狙いのアクション」と考えられる。
・・・しかし、客観的に攻撃の内容を見ると、子どもの斬首など、非人道の極致で、世界中の強い非難の対象になるのは当然であろう。そこで、イスラエルが対抗自衛戦に出るのに対しても国際法の範囲でなら支持(米欧)か容認というのが国際世論である。
・・・そして、今、イスラエルのガザ侵攻が始る。国際法の範囲ならということで、100万人の退避指示も出ている。
◆ 日本としては、「国際法違反の非人道的武力行使には、断固糾弾、ハマスであろうが、イスラエルであろうが」が立場であろう。
・・・しかし、冒頭に書いた通り、日本国内の一般市民感覚では、これまで70年間のイスラエルへの横暴に鑑み、10月7日にハマスが一回残虐行為をしたかもしれないが、「概ね悪いのはイスラエル」という感覚が多かろう。
・・・ それに対して、私が少しでも違うことを言うと、単純二分法では、私がイスラエル・シンパにされてしまう。
⇒⇒ しかし、しかし、我ら日本人としては、あの地に怪物的なイスラエルを創り出したのは先進欧米諸国であり、造られた怪物は怪物として生存のためずっと戦ってきている、という面にも理解を拡げても良かろうと、私は考える。世界の戦争は斯かる自国エゴの衝突から起こり、収まらない。日本が真に世界平和を追求するのなら、国連憲章・国際法の精神を強く全面に押し出し、米欧の行き過ぎにも、アラブ・イスラエルの行き過ぎにも、中ロの覇権にも、正面からモノ申すものでありたい。
・・・その為には、今回の戦争で日本が「やっぱ、パレスチナは可哀そう」との情緒に流れるのは違うと思っている。
【参考:バルフォア宣言(Wikipediaからの抜粋)】
バルフォア宣言(バルフォアせんげん、英語: Balfour Declaration、ヘブライ語: הצהרת בלפור)とは、第一次世界大戦中の1917年11月2日に、イギリスの外務大臣アーサー・バルフォアが、イギリスのユダヤ系貴族院議員であるロスチャイルド男爵ウォルター・ロスチャイルドに対して送った書簡で表明された、イギリス政府のシオニズム支持表明。この宣言をアメリカシオニスト機構に伝えるようロスチャイルド卿に依頼した。
概要
バルフォア宣言では、イギリス政府の公式方針として、パレスチナにおけるユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)の建設に賛意を示し、その支援を約束している。
しかし、この方針は、1915年10月に、イギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンが、アラブ人の領袖であるメッカ太守フサイン・イブン・アリーと結んだフサイン=マクマホン協定(マクマホン宣言)と矛盾しているように見えたことが問題になった。すなわち、この協定でイギリス政府は、オスマン帝国との戦争(第一次世界大戦)に協力することを条件に、オスマン帝国の配下にあったアラブ人の独立を承認すると表明していた。フサインは、このイギリス政府の支援約束を受けて、ヒジャーズ王国を建国した。
一方でパレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し、他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという、このイギリス政府の三枚舌外交が、現在に至るまでのパレスチナ問題の遠因になったといわれる。