ドイツ放浪記(82):Bydgoszcz から Berlinへ・・・

さて、今日はポーランドを出てベルリンに戻る。ホテルを出る前にもう一度中を探訪・・・ドアノブにも歴史を感じる。FOCUS HOTELというポーランドの新興ホテルチェーンが運営しているようで、これでこの円安の時代に円換算で1万円を切るのは有難い!

お目当ての Backsteigotilの「Kathedrale St. Martini und Nikolai」

ポーランドの都市の人口順位では第8位の町だけど、歴史上重要なポジションにあったことで、当時の重厚な建物もかなり残っている、

Gdynia(グディーニャ)はグダンスクから約 20kmほど北にある港湾都市である。そこからベルリンに行くならば、私が通ってきた経路(ベルリン-シュチェチン-コウォブジェク・・・を逆にたどれば近いはずだが、この列車は少し遠回りをして、ヴィドゴシュチ-ポズナンを拾ってベルリンに向かう。ポーランドは広い国土を有しているけれど、主要都市を結ぶ長距離列車はシンプルで便利な経路設定をされているように感じる。

グディーニャが発展したのは 1920年、第一次世界大戦以降と比較的新しい話である。ポーランド共和国は 1795年に最終的にロシア帝国・プロイセン王国・オーストリアの三強国によって分割され地図から姿を消した。その後、なポジションによってワルシャワ公国が建国されたが、ウィーン会議にて解体され、ロシアの属国としてのポーランド立憲王国、ブロセイン支配下のポズナン大公国、限定的な自治権のあるクラクフ共和国などに分割された。そして第一次世界大戦の戦後処理として民族自決の原則のもとに、ポーランド共和国が復活した。

この際、バルト海への有力港湾都市としてのダンツィヒはドイツ人住民が大多数である一方、ポーランドにとっても重要な港湾だったため、ドイツとポーランド帰属に関する対立が深まったため、そこをいずれにも属さない国際連盟の下にある「自由都市ダンツィヒ」とした。この際、ポーランドに独自に(ダンツィヒに依存せず)バルト海へのアクセス権を与えるために旧ドイツ帝国領をポーランドに割譲させた・・・ここがポーランド回廊である。その結果として東プロイセンはドイツ本土ととは切り離された飛び地となった。

このポーランド回廊のバルト海沿岸に建設されたのがグディーニャというわけである。

やがて列車はポズナンを過ぎ、戦後ドイツ・ポーランド国境となったオーデル川の鉄橋を渡りドイツに入る。

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