ビジョンを語るということ (2/3)

ビジョンを語るということ (1/3)からの続きです

私がマッキンゼー日本支社の「海外要員幹部候補生養成プロジェクト」で受講した、1994年当時、ハーバード・ビジネススクールの教授だった竹内弘高さんの講義について書いています。

さて、ある日の授業のテーマは「ビジョンとは?ビジョンを語るとは?」というものでした。80分一コマで、一日にかけて 5コマの長い講義でした。20人のクラスに対して、それはこんな問いかけから始まります。

1限目:「あなたの会社のビジョンってどんなものですか?」「あなたの会社の社長はご自分の、あるいは自社のビジョンを語っていますか?」

まあ、いろいろありますよね、会社によって。誰も口火を切らないので、端から順番に一人ずつ当てて行って、その会社の「ビジョン」を話して貰う。まあ、だいたいは「標語のようなもの」を挙げますね。当時のコニカでは「総合映像産業」なんて言葉がありました。で、一通り出尽くしたところで、ビジョンの語源の解説。まあ、ラテン語で「visi-」:見えるみたいな話で「何をやっているのか。やりたいのかが目に浮かぶように提示されるものがビジョンです」・・・という話。「総合★★産業・・・みたいなのはビジョンではありません」とバッサリ(笑)

ちなみにこれらは、所謂お役所が作る「★★ビジョン」の事例です。大企業のサイトには企業のビジョンが掲示されていることも有りますが、それを持ってきてここに並べると、お友達を失ってしまうかもしれないので(笑)、お役所の事例を並べておきます。

私、こういうのを見ると、瞬間的に思考停止に陥るんです(笑)アタマがクラクラします。説明を聞いてもアタマに入らないし、単なる音として右耳から左耳に抜けて行って心に響きません。更に、それを説明している輩も自分の腑に落ちて喋ってるように思えなくさえなります。

皆さん、そういう経験ないですか?

2限目:マルティン・ルーサー・キング牧師の「I have a dream」演説

2限目は「ビジョンを語る好事例」としてキング牧師の演説が題材となります。この演説は、皆さんも何らかの形で全文、あるいはその一部に触れられたことがあるのではないでしょうか。モノクロで、英語に訛があってちょっと聞き取り難いかも知れませんが・・・という前置きをしながらビデオが始まり、いくつかの有名なフレーズが出てきます。お時間が許せば動画をご覧ください。

絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。

★ 全訳はこちらにありますが、ここでのポイントは:

「私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。」「私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である」・・・のように、実現したい状況が、活き活きと目に浮かぶような語りかけ・・・これがビジョンを語るということなのです・・・というレッスンです。

これは、これだけを切り出しても十分に価値のある講義・講演なのですが、じつはこれも午後のオチに持ち込むための伏線だったのです。

ビジョンを語るということ (3/3)に続きます

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