- 2026-7-5
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★★★ ラッツェブルク Ratzeburg -2- からの続きです
Domを左手に見ながら Königsdammを真っすぐ進み緩い坂道を登って目的の場所まで行きます。上の地図で右手の方に赤い星を付けた三差路なんです。
件の三差路にやって来ました。なんてことはない場所です。正面には白っぽく塗られた集合住宅がありますがこれがどうしたというのでしょうか?・・・実はここを左手あるいは右手に折れると 1987~89年ごろによく見に行った東独国境があったのです。
左に折れて最初に出てくるのは Bäkという集落でそのまま進むとマイナーな国境「観測地点」に突き当たります。Bäk(ベーク)というのは不思議な響きがしますが、おそらく高地ドイツ語では「Bach」の低地ドイツ語訛りではないでしょうか?北ドイツには「-beck」「-bek」という地名が数多くあります。
この三差路を右に折れて国道 208号線を東に進むともう少しメジャーな国境観測地点に突き当たります。正面の白っぽい集合住宅は当時は連邦国境警備隊(Bundesgrenxschutz)あるいは連邦国防軍(Bundeswehr)の煉瓦造りの兵舎(Kaserne)でした。
たったそれだけのことなんですが・・・ここを何十度となく通った私にとってはえもいわれぬ懐かしい場所なんです。皆さんも「なんてことは無いんだけど、どうしてももう一度行ってみたい場所」ってありませんか?やっと伏線を回収した気分です(笑)
ラッツェブルクにある聖ペトリ教会、あるいは市教会は、後期バロック様式のルーテル派教会建築であり、横長構造の説教式教会として建設された。
建築史
後期バロック様式および初期古典主義様式の聖ペトリ教会は、1787年から1791年にかけて、ハノーファー選帝侯領の州建築監督ヨハン・フリードリヒ・ラーヴェスによって、中世の旧教会の跡地に純粋な説教教会として建設されたものであり、横廊を備えたホール式教会の晩期の例である。祭壇台、説教壇、オルガンのファサードは、ツォップ様式で、天井まで届く一体感を形成している。このため、この教会は18世紀の北ドイツにおけるプロテスタント教会建築の模範と見なされており、1693年にデンマーク軍によってラッツェブルクの旧市街が破壊された後、マンハイムをモデルとして新たに計画された、厳格な直角の街区からなるバロック様式の計画都市に溶け込んでいる。
教会の棟の上に立つ塔は、かなり後の1911年に、建築家J.ヴォルフによって新バロック様式で増築されたものである。説教壇兼祭壇とオルガンの一体感に加え、教会の内部は側面のロジェと3階建てのギャラリーが際立っている。教会の鐘は鋳造師ブルン・ヘミンクフーゼンによるもので、1578年に鋳造された。また、鐘鋳造師ニコラウス・ガゲも、ペトリ教会への鋳造実績が確認されている。その存続期間中、この教会はラウエンブルク第9猟兵大隊の駐屯地教会でもあった。ガスタイナー協定の後、1865年9月26日、ラウエンブルク公国の諸階級は、この教会において、自ら臨席したヴィルヘルム1世王を公爵として忠誠を誓った。これにより、同公国はプロイセン君主国と人的連合を結ぶこととなった。
2013年、エルンスト・バルラッハの没後75周年を記念して、1931年に制作された彫刻『教えるキリスト』が教会に設置された。これはバルラッハ家からの貸与品である。エルンスト・バルラッハは、ゼードルファー通りにある教区の墓地に埋葬されている。
★★★ ラッツェブルク Ratzeburg -3- に続きます












































