誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(120)★★★ ヴィットシュトック Wittstock -7-

★★★ヴィットシュトック Wittstock -6- からの続きです

昼の 12時ですよ!この町も人が歩いていませんねえ・・・

ケッテン通り(Kettenstraße 24-26)にある歴史的建築で、現在は市の図書館「Bibliothek im Kontor(コントール図書館)」として利用されています。美しい赤レンガの木組み(ファッハヴェルク)が特徴的なこの建物には、街の産業と再生の歴史が詰まっています。

建物の歴史と概要

織物家ウェゲナーの商館(Kontor):もともとは、ヴィットストックの主要産業であった織物工場主、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ウェゲナー(Friedrich Wilhelm Wegener)の商館および邸宅として18世紀から19世紀にかけて建てられました。なお、敷地内の一番古い部分は15世紀末にまで遡ります。また、この高名なウェゲナー家は、後に大陸移動説を唱えた気象・地球物理学者アルフレート・ウェゲナー(Alfred Wegener)のルーツにあたる家系でもあります。

東ドイツ(DDR)時代から廃墟へ:第二次世界大戦後のDDR時代には、建物が細分化され、12世帯ほどが暮らす簡易的な共同住宅として使われていました。しかし、長年にわたり適切なメンテナンスが行われなかったため、統一後は倒壊寸前の深刻な荒廃状態(廃墟)となっていました。

現代の再生と図書館への変身

ブランデンブルク建築文化賞を受賞:歴史的価値の高さから、街の歴史的中心部を保護する一環として約230万ユーロを投じた大規模な修復工事が実施されました。地元の建築家Kannenbergによる丁寧な改修設計(古い荷物用エレベーターの車輪や天井・床の装飾画、壁紙の復元など)が高く評価され、2012年4月に市営図書館としてオープン。2013年には「ブランデンブルク建築文化賞」(Brandenburgischer Baukulturpreis)を受賞し、同州の「今月の文化財(Denkmal des Monats)」にも選出されています。

現在は3万点以上のメディア(書籍、デジタル機器など)を備え、モダンな内装と歴史的な梁が調和した、市民や子どもたちの素晴らしい憩いの場となっています。

さて12時になり小腹がすいたのでどこかで障子をと思うのですが・・・マルクト広場の Vetterというパン屋は、表にテーブルが並べられているところを見ると営業はしているようなのですが中は電気が消えており人の気配がありません。

ここは Marktstübchenというレストランのようです。名前からすると絶滅寸前のドイツ飯屋のようで興味はあったんですが、やはりテーブルは並べられており、外にメニューらしき黒板も立てられているのですが・・・人の気配がありません。

黒板(手書き部分)には自家製の燻製魚の販売と、レストラン内でのテイクアウト(店外販売)の案内が書かれています。Räucherfisch aus dem hauseigenen Räucherofen!(自家製の燻製窯で仕上げた燻製魚!)、außer Haus Verkauf im Restaurant…(レストラン内にて、テイクアウト(店外販売)を承っております…)、Saibling 100gr. 2.77€(イワナ 100g あたり 2.77ユーロ)、Forelle 100gr. 2.43€(マス 100g あたり 2.43ユーロ)、guten Appetit!(どうぞお召し上がりください! / メシあがれ!)・・・

AIによれば「このお店「Marktstübchen」では、燻製魚のほかにも地元ブランデンブルク州の伝統的な肉料理や、季節の料理が楽しめます」・・・とあるので、ケバプ屋・ベトナム屋・(イタリア人がやっていない)ピザ屋ばかりになってしまった旧東独の町では貴重なドイツ飯屋だったんですが・・・

で、結局「悩んだときはイタ飯屋」(笑)

ドイツ語で書かれた魅力的な季節のイタリアンメニューが並んでいます。ヤギのチーズを多用しているところからはギリシャ飯を思わせますが・・・
    • ZiegenKäse mit Feigen, dazu Acetosauce (12.90€)
      (ヤギのチーズとイチジク、バルサミコソース添え)
    • Salat der Saison mit Ziegenkäse u. Walnüssen, Honig-Aceto-sauce (13.90€)
      (季節のサラダ ヤギのチーズとクルミ添え、ハニーバルサミコソース)
    • Bandnudel „Pinoli“ mit Hähnchenbrust, Pinienkernen, Zitronen-Butter-Sauce (17.90€)
      (平打ちパスタ“ピノーリ” 鶏胸肉と松の実、レモンバターソース)
    • Fettuccine Saffrano mit Bandnudeln in Butter-, Olivenöl-Champignons (15.90€)
      (サフランのフェットゥチーネ バターとオリーブオイル仕立て、マッシュルーム添え)
    • Bandnudeln mit Maronen in Wildkräutersauce (16.90€)
      (平打ちパスタ 栗と野生ハーブのソース)
    • Pizza mit Rucola u. Ziegenkäse und Tomaten (14.90€)
      (ルッコラ、ヤギのチーズ、トマトのピザ)
    • Pizza mit Lachs u. Creme Fraîche (17.90€)
      (サーモンとクレームフレーシュ(サワークリーム)のピザ)

手書きの文字の最後には、お店のこだわりである「ミスト(蒸し/スチーム)料理」などを思わせる「Sübzer」(伝統的な温かいエッセンスや味付けのニュアンス)という文字も見られます。

で、落ち着くとこはいつものコレ(笑)店の隅ではオーナーと仲間たち数人がボソボソと話していましたが、明らかにイタリア語ではない言葉を喋っていました。

この看板は、第二次世界大戦末期の1945年4月に発生した「サクセンハウゼン強制収容所からの死の行進(Todesmarsch)」の悲劇を伝える歴史的な記念碑(案内板)です。ヴィットストック周辺は、この過酷な移動ルートの重要な通過点であり、多くの犠牲者を出した場所として知られています。

看板の記載内容の翻訳

    • TODESMARSCH APRIL 1945(死の行進 1945年4月)
    • DER HÄFTLINGE DES KZ-SACHSENHAUSEN. ÜBER 6000 WURDEN AUF DIESEM MARSCH DURCH DIE SS ERMÖRDET.(サクセンハウゼン強制収容所の囚人たち。6,000人以上がこの行進の途上、親衛隊(SS)によって殺害された。)
    • IHR VERMÄCHNTNIS LEBT IN UNSEREN TATEN FORT.(彼らの遺志は、私たちの行動の中に生き続ける。)

歴史的背景とヴィットストックとの深い関わり

死の行進とは:1945年4月、ソ連軍の進撃が迫る中、ナチス・親衛隊(SS)は収容所の実態を隠蔽するため、ベルリン北部のザクセンハウゼン収容所から数万人の囚人を北西のバルト海方面へと強制的に徒歩で移動させました。飢えと寒さ、疲労で歩けなくなった者は、その場で容赦なく射殺されました。

ヴィットストック(ベロウの森)の悲劇:地図に記載されているルート上、ヴィットストックのすぐ北にある「BELOW(ベロウ)」という場所は、この死の行進において最も象徴的な悲劇の舞台です。1945年4月23日から29日にかけて、行き場を失った約1万6,000人の囚人たちが、このベロウの森(Belower Wald)で凄惨な野宿を強いられました。彼らは木を削り、樹皮や葉を食べて飢えをしのいだとされています。

現在のベロウの森記念館:現在、その森は「Gedenkstätte Todesmarsch im Belower Wald(ベロウの森・死の行進記念館)」として保存されており、囚人たちが生きるために削った当時の「木の傷跡」が今も生々しく残されています。

画像右側には、収容所の衣服を身にまとい、政治犯などを表す「赤い逆三角形(Rotes Dreieck)」のワッペンを胸につけた囚人たちの姿が描かれており、当時の過酷な状況を伝えています。ヴィットストックの旧市街壁や美しい街並みの随所には、このような歴史を忘れないための記念碑がいくつか設置されています。

この石碑は、ナチス政権の台頭直後である1933年3月に、ファシストの突撃隊(SA)によって命を奪われた地元ヴィットストックの共産主義政治家、ヴァルター・シュルツ(Walter Schulz)を追悼する記念碑(Gedenktafel)です。ヴィットストックの旧市街にある「旧区裁判所(Amtsgericht / キューリッツ門近く)」の建物に設置されています。

碑文の翻訳:ZUM GEDENKEN AN WALTER SCHULZ(ヴァルター・シュルツを記念して)、MITGLIED D. ORTSGRUPPE WITTSTOCK DER KPD(ドイツ共産党(KPD)ヴィットストック地方支部会員)、AM 16.3.1933 ERMORDET VON ANGEHÖRIGEN DER FASCHISTISCHEN SA(1933年3月16日、ファシストの突撃隊(SA)の構成員によって殺害された)

歴史的背景:1933年1月30日にヒトラーが首相に就任し、2月27日の「ドイツ国会議事堂放火事件」をきっかけに、ナチス政権は共産党(KPD)や社会民主党(SPD)といった政治的敵対者への激しい弾圧と検挙を開始しました。ヴィットストックの市議会議員であり、労働裁判所の参与なども務めていたヴァルター・シュルツ(1883年生まれ)もその標的となり、1933年3月16日に拘束され、ヴィットストックの裁判所地下にあった監獄へ連行されました。彼はそこで、ナチスの準軍事組織である突撃隊(SA)の執拗な暴行を受け、収容直後に不慮の死を遂げました。この事件は、ヴィットストックにおけるナチス・テロの最初期の犠牲として街の歴史に深く刻まれています。

この記念碑は、戦後の東ドイツ(DDR)時代に、反ファシズムの闘士(Antifaschist)としての彼の功績と悲劇を後世に伝えるために設置されたものです。現在、彼の悲劇があった場所の近くは「ヴァルター・シュルツ広場」と呼ばれ、かつての消防署(Feuerwehrdepot)や古い製粉所(Stadtmühle)などの美しいレンガ建築が並ぶ歴史保護地区となっています。

旧市街南西端に位置する「旧区裁判所(Amtsgericht Wittstock)」の建物です。先ほどヴァルター・シュルツの記念碑(石碑)の際にも触れました、「Am Kyritzer Tor 4–4a」に佇む歴史的な文化財(Baudenkmal)そのものです

お、向こうの方に煉瓦造りの塔らしきものが見えています

★★★ヴィットシュトック Wittstock -8- に続きます

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