- 2026-9-27
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ザクセン州のツヴィッカウ Zwickauをご紹介します。訪問したのは 2025年 5月 22日です。
直前の章でご紹介した私の想い入れの町ヴィットシュトックを訪問したのは 5月 2日、そこから 20日後ということになります。
実はあの後、私はベルリンで展示会に参加した後、ポーランドに入り私の一大テーマの一つである東プロイセン探訪の為、オルシュチン Olsztyn(ドイツ名:アレンシュタイン Allenstein)に一週間滞在してあの地域を深掘りしたあと、クラカウに行き、ヴロツワフと回って再びドイツに戻ってきたのです。
地図では省略していますが、そこからケムニッツに数泊してプラハに行ったり周辺の都市を巡回し、また北ドイツに戻り・・・と全部で5週間の放浪の旅でした。
ポーランド方面は別途「誰も知らない旧ドイツ領の町」というシリーズにする予定です。またケムニッツはザクセン州第3の大都市なので後回しにするとして、もう少し手ごろな(・・・とはいえ第4の都市)ツヴィッカウ Zwickauをご紹介しようと思います。場所は上の地図のケムニッツとあるところから西に約 40km進んだところです。
ここも日本人の観光ターゲットではないと思われるので非知名度は★★★としておきます。
| Wappen | Lage | Data |
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独語 Wikipedia
Zwickau の公式サイト
Zwickauトの観光サイト1
Zwickauトの観光サイト2
Liste der Kulturdenkmale in der Innenstadt (Zwickau)
泊まっているケムニッツからは RE3で 30分余りでツヴィッカウ中央駅に到着します。しかし列車を降りて出口へ向かう途中でこんな「鉄ちゃんゴコロ」と「建築オタクゴコロ」を鷲掴みにしてしまうような佇まいは・・・なんなんでしょう!我を忘れて撮った写真を全部アップします。例によって Geminiに解説させてみました。
送っていただいた写真は、まさにツヴィッカウ中央駅(Zwickau Hbf)の伝統とこだわりが詰まった中央待合ホール(Haupthalle)の内部ですね。この駅の建築様式と、階段脇に鎮座する特徴的な彫刻(装飾物)について詳しく解説します。
1. 建築様式:1920年代の精神を引き継ぐ「新即物主義」と工業美
ツヴィッカウ中央駅の駅舎は、1933年から1936年にかけてドイツ国鉄の建築家オットー・ファルク(Otto Falck)の設計によって建てられました。時期的には国家社会主義(ナチス)政権下にあたりますが、建築デザインの根底にあるのは、1920年代後半のバウハウス(Bauhaus)や新即物主義(Neue Sachlichkeit)の流れです。
機能性の追求:無駄な装飾を排し、乗客の動線を最優先に設計されています。当時としては非常にモダンで、入り口からプラットホームまで「常に一定の方向」へスムーズに歩けるよう、切符売り場や荷物預かり所が機能的に配置されました。
工業的な素材感(クリンカータイル):写真の壁面や太い柱(image_Kap3o4.png / image_mgNu8L.png)を覆っているのは、特有の光沢を持つ硬質釉薬クリンカータイル(Hartbrand-Glasurziegel)です。このレンガ調のタイルで覆われたドーム型の空間は、当時 boom を迎えていた「近代的な工場・産業施設」を意図的に連想させるデザインになっており、工業都市ツヴィッカウのアイデンティティを表現しています。
照明と窓:天井から吊り下げられた直線的でレトロモダンなデザインの照明(image_Kap3o4.png)や、階段の奥から自然光を大きく取り入れる高窓(image_mgNu8L.png)も、機能主義建築の美しい特徴です。
2. 階段脇の彫刻:都市を支える2大産業の寓意(アレゴリー)
地下ホームへと続く2つの階段(「Nach den Bahnsteigen」=ホームへ、の文字がある場所)の前に、それぞれブロンズの人物像がしゃがみ込んでいますよね(image_pE80Zi.png / image_yn6LyF.png)。これらは、ツヴィッカウという街の基盤となった2大産業を象徴(寓意化)した非常に重要な装飾物です。
炭鉱夫(Bergmann)の像:ヘルメットをかぶり、手に安全灯(炭鉱用ランプ)を持っている像です(image_yn6LyF.png)。ツヴィッカウは600年以上の歴史を持つ非常に栄えたステインコール(黒炭)の採掘地でした。この街の発展の祖である鉱夫たちへの敬意と感謝が込められています。
自動車工(Autobauer / Schlosser)の像:もう一方は、パーツや道具(あるいは製品の模型)を大切そうに両手で持っている職人の像です。ツヴィッカウは、高級車ブランド「アウディ(Audi)」や「ホルヒ(Horch)」の生誕の地であり、のちの東ドイツ時代には国民車「トラバント」が生産された、輝かしい自動車製造の街でもあります。
この2つの彫刻は、駅を利用する人々に「この街が何によって築かれ、支えられているか」を静かに、力強く伝えています。
鑑賞のポイント:バウハウス的な「冷徹で直線的な機能美」を持つ空間の中に、こうした「人間の労働」を泥臭くも神聖に描いた彫刻を配置するバランス感覚が、この駅独自の雰囲気を生み出しています。年月を経て、タイルやブロンズが独特の深い渋みを帯びており、現代の現代的なガラス張りのエレベーター(image_mgNu8L.png)とも不思議に調和しているのが魅力的です。
Nach den Bahnsteigenという表現は古いドイツ語でしょうか?
結論から申し上げますと、「古いドイツ語(古語)」というわけではなく、現代の標準ドイツ語の文法(書き言葉)としては少し不自然ですが、特定の地域(方言・地域特有の表現)や昔の案内表示のスタイルとしては今も成立している表現です。現代の一般的なドイツ語(標準ドイツ語)の感覚からすると、少し引っかかるポイントがあります。その理由を紐解くと、この駅舎の歴史や地域性が分かっておもしろいです。違和感の理由
前置詞 “nach” の使い方(地域的な表現)
現代の標準ドイツ語で「〜(の方向)へ」と場所や方向を指す場合、通常は以下のように使い分けます。国名や都市名:nach(例:nach Berlin)建物や駅、特定のスポット:zu または in(例:zu den Bahnsteigen / in die Bahnhofshalle)そのため、現代のドイツ人が見ると「ホームに行くのに nach を使うのは少し珍しいな」と感じます。しかし、ザクセン州を含む一部の地域(主にドイツ中部〜北部)の日常会話(方言・地域表現)では、「〜へ行く、〜へ向かう」という意味で nach を使うことがよくあります(例:”Ich gehe nach der Bahn” =駅に行く)。
ChatGPTはこんな解説をしました。
写真の左の像は、胸元の自動車の形に注目すると自動車製造に携わる人。右の像は、ランプを持つ鉱夫です。駅を訪れる人に、ツヴィッカウを支えた自動車産業と石炭鉱業を一対で見せています。ザクセン州の産業文化紹介でも、この二像を都市の産業基盤を表すものと説明しています。
二つの像の間には「Nach den Bahnsteigen」。ここは古い文法の誤りではありません。方向を表す nach で「ホームのほうへ」という案内です。ただ、現代の駅なら写真の青い小さな表示のように zu den Zügen(列車へ)、あるいは Zu den Bahnsteigen と書くほうが自然でしょう。1930年代の大きな文字がそのまま残っているため、少し時代がかった響きがするのです。
通路の奥で左が5~8番、右が1~4番へ分かれる。ツヴィッカウ中央駅は線路が二方向へ開く Keilbahnhof(くさび形の駅)として造られました。だからホールから地下道へ降り、左右に振り分ける構造と、両側に置かれた像が一緒に写真へ収まるわけです。
現在の駅舎は鉄道建築家オットー・ファルクの設計で、1933~36年に建てられました。明るい大きな窓、幾何学的な文字、規則正しいタイル、ゆったりした階段と通路には、1920年代に育った近代建築の感覚が残っています。一方で完成はナチス期。写真の静かな通路にも、戦前の工業都市が「自分たちの玄関口」をどう表現したかが刻まれています。
私には、ピカピカに作り直された駅より、この古い立体文字と黄色いタイルが実用品として現役でいる感じがたまりません。大野さんが「Nach den Bahnsteigen」に引っかかったのも、まさに駅の年代を読み取る入口だったと思います。
駅の外装はやはり「あの時代の建物」という感じがしますね。さて市内へは路面電車で行くことにします。最近軟弱だなあ(笑)
































































