誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(103)★★オラニエンブルク Oranienburg -1-

ブランデンブルク州のオラニエンブルク Oranienburgをご紹介します。

なんとなく聞いたことがあるような気がしませんか?近現代史に関心をお持ちの方なら「あれ」とわかるモニュメントがある町として知られています。また欧州史に関心のある方なら「オラニエ・・・」とくるとオランダのオラニエ=ナッサウ家やオレンジ公ウィリアム(蘭語でオラニエ公ウィレム Willem van Orange)を思い出される方もおられるかもしれません。ということで非知名度の★は★★と2つにしておきます。

「オラニエンブルクはもともとベッツォウ (Bötzow) という名前だった。この町は12世紀に形成された。最初に記録に名前が出てくるのは1216年である。ブランデンブルク辺境伯アルブレヒト1世がハーフェル川沿岸に城の建造を命じ、この城の周りに商人や職人が集まるようになったのが始まりという。1646年に大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムオラニエ=ナッサウ家ルイーゼ・ヘンリエッテ・フォン・オラニエンと結婚した。彼女はこの町に非常に惹かれていたので、フリードリヒ・ヴィルヘルムは彼女にこの町をプレゼントした。彼女はこの町に故国オランダ式の城を建てることを命じ、この城はオラニエンブルクと名付けられた」(日本語 Wikipedia)・・・ということです。

奥さんのご機嫌を取るためにこの町をプレゼントし、町の名前を変え、お城まで建ててあげる・・・なんとも凄い話ではあります(笑)

Wappen Lage Data

独語 Wikipedia
Stadt Brandenburg an der Havel の公式サイト
Liste der Baudenkmale in Oranienburg

実はこの町は「歩き回った」と言えるほど歩いてはおらず、駅とお城の周辺だけであとは端折りました。地図の左下に薄い黄色で繁華街っぽいところが見えますが、あまり見るべきものもないだろうという判断です。

FILMPALAST・・・映画館でしょうね。でも LICHTSPIELなどと並んで東独のドイツ語っぽい感じがします。

AMTSGERICHT・・・法務局ですね

オラニエンブルクにある聖ニコライ教会は、福音ルーテル教会であり、その教区にはシュマッテンハーゲンとゲルメンドルフの教会区が属している。1866年に献堂された教会堂は、いくつかの旧建築物に取って代わり、第二次世界大戦の終結後に大きな被害を受けた後、1952年までに再建された。この教会は聖ニコライに捧げられており、1970年代からその内装とともに歴史的建造物として保護されている。

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歴史

16 世紀、この町のキリスト教徒たちは最初の礼拝所を建設した。三十年戦争の最中、住民たちは仮設の教会を建設したが、その両方はすぐに炎に包まれた。1658年、同じ場所にバロック様式の小規模な新しい教会(十字架教会)が、選帝侯妃ルイーズ・ヘンリエッテ・フォン・オラニエンの寄付によって建設された。1788年の大火災で焼失し、1796年に質素な教会(「地方教会」)に建て替えられた。この教会は安価に建設され、できるだけ多くの訪問者を収容できるように設計された。しかし、この建設方法は裏目に出て、教会はすぐに老朽化してしまった。教会の要請を受けて、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は、建築家フリードリヒ・アウグスト・シュトゥラーに新しい教会の設計を依頼した。この教会は1864年に建設が開始され、1866年に献堂された。新しい教会の建設を主導したのは、

1933 年、ナチス政権下において、オラニエンブルク市は創立 700 周年を迎えた。これを記念して、ニコライ教会では、教会聖歌隊による祝賀礼拝が行われた。 第二次世界大戦終結後、火災により教会堂は、オルガンを含む内装とともに全焼した。その後、城内のオランジェリーが、キリスト教徒の仮設教会として利用された。

1951年、新たに任命された監督エルンスト・デタートが、再建のための礎石を据えた。再建には、スウェーデンの福音ルーテル教会(ウプサラ)から資金および資材の支援があった。工事は建築家ヴァルター・クルーガーが担当し、19世紀の伝統的なネオ・ロマネスク様式、つまり、黄色いレンガで造られた3身廊のバシリカ式教会堂、後陣、教会の塔を可能な限り忠実に再現した。彼は、古いギャラリーの高さに中間天井を設置した。これにより、新しい地下教会には、追加の集会室、グループルーム、キッチン、衛生設備が設けられた。1952年10月26日、この聖堂は新たに献堂された。

東独崩壊には、ナウマン監督、R. レーーム牧師、S. フィリップ牧師が、この教会で活動していた。彼らはしばしば侮辱され、教会では器物破損も発生した。

破壊されたニコライ教会の再建 50 周年および 60 周年を記念して、2002 年と 2012 年にそれぞれ 1 週間の祝賀行事が行われた。この行事には、ヨーテボリのティンネレッド教区から 2 人のスウェーデン人牧師など、他の国々のキリスト教徒も参加した。

「硬直したミヒャエル」
ヴィルヘルム・グロス
1883年1月12日~1974年2月9日
彫刻家・グラフィックアーティスト・説教者
ユダヤ人の虐殺やミンスク・ゲットーでの恐ろしい出来事に関する報道は、ヴィルヘルム・グロスに衝撃を与えた。1941年から1943年にかけて、10万人以上のユダヤ人がドイツ占領軍によってそこに集められた。SSの特別行動部隊による虐殺と絶滅収容所への移送を生き延びた者はごくわずかだった。

これらの報告に衝撃を受けた彼は、ユダヤ人に対する恐ろしい残虐行為に凍りついた大天使ミカエルを構想した。ダニエル書 12:1 によると、彼はユダヤ人の守護天使とされている。歴史の皮肉なことに、ドイツ国民も彼を自分たちの守護天使とみなしている。

1950 年、地元の製材所の木材置き場で、ヴィルヘルム・グロスは、巨大な古い木の枝の分岐点に目を留めた。その瞬間、彼はミカエルの像のインスピレーションを得た。1952年までに、彼はこの彫刻を完成させた。彼の作品は、この途方もない不正に対して私たちが感じる衝撃、痛み、恥を証しするものである。

ヴィルヘルム・グロスは1919年からオラニエンブルク・エーデンに住んでいた。ナチス政権時代、彼は恵まれない芸術家であったが、公言したキリスト教徒でもあった。公認教会による礼拝や集会は、この教会では行えなかった。そのため、公認キリスト教徒たちは、ザクセンハウゼンのクルト・シャルフ牧師の家や、ヴィルヘルム・グロースのスタジオ(「わら教会」)など、他の場所で集まらざるを得なかった。

1953年、彼はハイデルベルク大学神学部から名誉博士号を授与された。

オラニエンブルク Oranienburg -2- に続きます

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