- 2026-9-23
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★★★ヴィットシュトック Wittstock -7- からの続きです
この写真は、ヴィットストックを訪れたなら絶対に外せない最大の歴史スポット、「ヴィットストック旧主教城(Alte Bischofsburg)」の象徴である「アムツトゥルム(Amtsturm:本丸の塔)」と、隣接する「旧市長の家(Bürgermeisterhaus)」です。中世の面影を色濃く残すこの敷地一帯は、現在は「東プリグニッツ郡立博物館(Kreismuseen Alte Bischofsburg)」として整備されています。
1. 塔の歴史:アムツトゥルム(Amtsturm)
唯一現存する中世の遺構:高さ32メートル、7階建てに相当するこの巨大な赤レンガの角塔は、13世紀(1244年頃着工)に建てられた中世の城の「 Torturm(城門タワー)」でした。1271年から1548年にかけて、ハフェルベルクの主教(司教)たちがこの街を居城(主教座)としていた全盛期の、ほぼ唯一完全な姿で残る貴重な建造物です。
波乱万丈な役割の変遷:主教たちが去った後の数世紀、この塔は城の管理事務所(アムト)として使われたほか、穀物倉庫や家畜小屋として使われたり、驚くことに戦後の一時期は「ユースホステル」として若者たちの宿泊施設に利用されていた時期もありました。
2. 隣接する建物:旧市長の家(Bürgermeisterhaus)
写真2枚目の木組みの建物:塔の左側に繋がっている美しい赤と白の木組み(ファッハヴェルク)の建物は、かつて城の敷地内に建てられた「市長の家」です。中世のオリジナルの宮殿(レジデンツ)や城内礼拝堂などは、1703年の歴史的な大嵐による倒壊や19世紀の解体によって失われてしまいましたが、この美しい木組み建築が修復され、中世の石造りの塔と見事なコントラストを描いています。
3. 内部の博物館:2つのユニークな展示
敷地内の近代的なガラス張りのエントランス(写真2枚目右下の「MUSEUM」の入り口)から入ると、内部は2つの異なるテーマを持つ素晴らしい博物館になっています。
① 三十年戦争博物館(Museum des Dreißigjährigen Krieges):塔の全7フロアを使った、このテーマに特化したヨーロッパ初の博物館です(1998年開館)。1618年〜1648年にかけてヨーロッパ全土を震撼させた宗教戦争「三十年戦争」の全貌を紹介しています。特に、1636年にこの街のすぐ近く(シャルフベンベルク)で発生し、戦争の行く末を大きく変えた「ヴィットストックの戦い」については、当時の武器や甲冑、ジオラマ、戦術地図を用いて非常に生々しく解説されています。単なる軍事史だけでなく、「兵士や一般庶民がどのような悲惨な日常生活を送っていたか」という文化史・社会史の視点からも光が当てられています。
② 東プリグニッツ博物館(Ostprignitzmuseum):木組みの建物(旧市長の家)の内部にあり、ヴィットストックを含むこの「東プリグニッツ地域」の数世紀にわたる郷土史、伝統的な職人・布織り(ツーフマッハー)の技術や、人々の暮らしの歴史が展示されています。この博物館では、展示室を進みながら歴史ある塔の階段を上っていくことができ、最上階からはヴィットストックの美しいパステルカラーの旧市街や、周囲を囲む2.5kmの城壁を一望する素晴らしい景色が楽しめます。
メインの展示の一つは三十年戦争の転換点ともいわれる「ヴィットシュトックの戦い Schlacht bei Wittstock」について詳しく解説されています。
1636年10月4日に起きた「ヴィットストックの戦い(Schlacht bei Wittstock)」は、三十年戦争(1618〜1648年)の後半戦において、スウェーデン軍が絶滅の危機を脱し、戦争全体の主導権を再び握り直した「奇跡の逆転劇」として、ヨーロッパ史における極めて重要な転換点とされています。この戦いがそれほどまでに重要視される理由は、主に以下の3点に集約されます。
1. スウェーデン軍の「壊滅」と戦線離脱を阻止した
1632年に絶対的なカリスマであった国王グスタフ・アドルフが戦死して以降、スウェーデン軍は弱体化し、1634年の「ネルトリンゲンの戦い」で神聖ローマ帝国・ハプスブルク家側の連合軍に大敗を期していました。これにより、ドイツ国内のプロテスタント諸侯の多くがスウェーデンを見捨てて皇帝側と和平を結んでしまい、スウェーデン軍は完全に孤立。当時、ヴィットストックの戦いに挑んだスウェーデン軍(バネール将軍率いる)は、もしここで負ければドイツから完全に駆逐され、戦争から強制退場させられるという、まさに背水の陣でした。ここで勝利したことで、スウェーデンは北欧の強国としての地位を死守しました。
2. 軍事史に残る「大胆な包囲戦術」の成功:戦術的な観点からも、この戦いは歴史に深く刻まれています。
圧倒的劣勢: 皇帝・ザクセン選帝侯の連合軍(約22,000人)に対し、スウェーデン軍(約16,000人)は数で大幅に劣り、さらに敵はシャルフベンベルクの丘(ヴィットストックの南)に強固な陣地を築いていました。
二面奇襲作戦: スウェーデン軍の司令官ヨハン・バネールは、あえて自軍を二手に分け、一部の部隊に敵の目の届かない広大な森を迂回させ、敵の背後(側面)を突かせるという非常にリスクの高い「両翼包囲戦術」を決行しました。これが完璧に決まり、夕刻に劇的な逆転勝利を収めました。
3. 戦争の「長期化・泥沼化」を決定づけた
この戦いでのスウェーデン軍の勝利は、ハプスブルク家によるドイツ主導権の完全掌握(カトリック側の一方的な勝利)を打ち砕きました。これにより、プロテスタント側を裏から支援していたフランスが本格的に介入する時間と大義名分を与えることとなり、局地的な宗教戦争だった三十年戦争は、ヨーロッパ全土を巻き込む終わりなき「国際政治の泥沼戦」へと突入していくことになります。
もしこのヴィットストックの戦いでスウェーデンが敗れていれば、ヨーロッパの勢力図や、後のウエストファリア条約による近代国家体制の誕生は全く異なるものになっていたと言われています。あののどかなヴィットストックの街のすぐ裏手が、まさにヨーロッパの運命を決めた大戦場でした。
アヒルをテーマにした面白い展示があったので思わず見ちゃいました(笑)
1900年頃の典型的な印刷業だそうです
HDM(ハイデルベルク社)の機会かなと思いましたが「写真の機械は、ハイデルベルク社製(Heidelberger Druckmaschinen)ではなく、それよりもさらに古い時代に作られた「手動式または足踏み式の小型プラテン印刷機(ハンドプラテン / プラテンプレス)」です。ハイデルベルク社の代名詞であるヴィンテージ印刷機「プラテンT型(通称:ハイデルベルク・ウィンドミル)」は、扇風機の羽のような給紙アームが回転する、より複雑で堅牢な自動給紙機構を備えています。これに対して、お写真の機械は大きな鋳鉄製のフライホイール(弾み車)を手や足で回し、手作業で紙を1枚ずつ送り込む非常にシンプルな初期のアナログ活版印刷機です」とのことです。
★★★ヴィットシュトック Wittstock -9- に続きます








































































