誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(100)★★★テンプリーン Templin -7-

テンプリーン Templin -6- からの続きです

今回行けなかったスポットを独語 Wukipediaから拾っておきます。

Von Daniela Kloth – Eigenes Werk, GFDL 1.2, ソースはこちら

Von Ralf Roletschek – Eigenes Werk, GFDL 1.2, ソースはこちら

ゼーホテル・テンプリン(正式名称はアホルン・ゼーホテル・テンプリン)は、1984年に FDGBの保養施設「フリードリヒ・エンゲルス」として開業したホテルで、ブランデンブルク州ウッカーマルク地方テンプリンのリュベ湖畔にある。テンプリンのポストハイム地区に位置している。施設のサイトはこちら

因みにこれと同じコンセプトのホテルはここにもありました。こちらは解体されてしまいましたが・・・

施設

ゼーホテル・テンプリンは、現在ブランデンブルク州で最大のホテルである。間取りは三叉の星形で、プレハブ建築の建物は 3 つのウィングに 12 階建て。この 3 つ星ホテルは、アーホーン・ホテルチェーンの一部で、12 階に 409 室の客室がある。レストランは、12階にあるパノラマレストランと、湖のすぐそばにあるビーチバーがある。ホテルには、25メートル×12.5メートルの屋内プールがある。

歴史

ゼーホテル・テンプリンは、1984年に東ドイツ統一労働組合FDGBの保養所「フリードリヒ・エンゲルス」として開業した。6年間の建設期間を経て、まずメインの複合施設がほぼ完成した。第二段階の建設では、かつての海水浴場「クーバート」の岸辺から泥を吸い取り、砂を埋め立て、長さ 350 メートル、幅 20 メートルのビーチエリアと芝生エリアが整備された。開業時には、700 室、合計 1023 床の客室が利用可能だった。ホテル内および周辺では 500 人の労働者が雇用されていた。ホテルには、本館に隣接して独自のパン屋と肉屋があった。東ドイツ時代、稼働率は約 95% だった。

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1990 年に FDGB 休暇サービスが解散した後、ホテルは緊急経営状態となった。人員削減の結果、1991 年にはホテルで働く従業員は 80 人にまで減少した。まず、「テンプリンホテル会社」が信託会社から1年間このホテルを借り受け、その後、タイの企業Euromillがリースし、1994年に1500万ドイツマルクで買収した。運営される客室数は500室未満に削減され、1999年にホテルは破産を申請した。その後、ベルリンのホテルグループ Albeck & Zehden が、新しい事業部門としてこのホテルを引き継ぎ、独立した Ahorn ホテルグループが誕生した。このホテルコンプレックスは、当初「Ferienhotel Templin」という名称で営業していたが、2004年に「Seehotel Templin」、2010年には「アホルン・ゼーホテル・テンプリン」と改名された。

建築

保養施設「フリードリヒ・エンゲルス」は、1984年に WBS70システムによる工業用プレキャストコンクリート建築として建設された。この建物は、3つのウィングが1つのコア(いわゆる風車型構造)を囲むように配置されており、各ウィングは12階建てで統一されている。ファサードは、デザインされた打ち放しコンクリート要素で構成されている。この建物は、1980年代初頭の東ドイツで一般的なプレハブ建築に相当する。

湖畔ホテルのファサードは、2015年から2016年にかけて、ライプツィヒのポップアートアーティスト、ミヒャエル・フィッシャー・アートによって芸術的に再設計され、それ以来、ヨーロッパ最大のファサードアート作品の1つとして知られている。シュヴェットで開催された見本市「Inkontakt」で、湖畔ホテル・テンプリンは2017年のウッカーマルク観光賞を受賞した。

Von Uckermaerker – Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0, ソースはこちら

西部劇を再現したエンタメ施設のようです

Stadt Templin

Perle der Uckermark – Templin im Wandel der Zeit

Templin, die Perle der Uckermark – Mit dem Wohnmobil unterwegs

テンプリーン Templin の章を終ります

シリーズ:誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte に戻ります。

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