上海広告設備展示会 2003年 7月(今の APPPEXPOの前身)- その2-

上海広告設備展示会 2003年 7月(今の APPPEXPOの前身)- その1- からの続きです。

当時の中国はプリンターを作れば売れるという状況で、雨後の筍のように新興メーカーが出てきていた時代です。各社、郊外の工業団地に場所を確保し、生産キャパをどんどん増やしていきます。

ヘッドのシェアは感覚的に 95%が XAAR128(126)で、5%ほどが SPECTRA、XAAR128は「通貨の様に流通している」といわれていた時代です。まだ、この2社以外のヘッドは市場では殆ど見かけなかった時代です。

XAAR128(126)は「通貨の様に流通する」定番ヘッドでした。波形生成ICが内蔵されており、初心者でも簡単に使えるというのが広まった理由です。そんな中、下の画像はある中国メーカーが見せてくれた日立工機のヘッドです。コピーキャットばかりと言われた中国メーカーの中でも、差別化ということを考えるメーカーは少しでも特徴のあるヘッドを求め始めていました。また、そのヘッドを採用すると「独占使用権をくれ!他には売らないでくれ!」という要望も強くなってきた時代です。

街に食事に出た時の、とあるレストランの入り口です。仮設の洗面台が設けられ「非典」を予防!消毒を強化」食事の前に手洗いをお願い!・・・と書いてあります。非典とは非典型的肺炎のことで、前年に流行した SARSのことを指しています。

2020年 11月 20日 17:00 ~ 大野がこの当時の市場状況・競合動向やその戦略について語ります
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