- 2025-12-19
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ブランデンブルクの章の最初に ChatGPTでこの辺りのことを整理させたところによると「ブランデンブルク:辺境伯領・選帝侯領などブランデンブルク・プロイセンの発祥の地」「ベルリン:「官」という漢字に集約されるように政治の中心」にたいして「ポツダム:王権の象徴都市」ということでした。流石にどの建物も豪壮で見ごたえがあります。が、州都でもあり、ちょい歩きくらいでは重要な建物や史跡を見逃しているような気がしてなりません。まあ、また来ることもあるだろうと割り切ってとりあえず中心と思しきあたりをぐるりと一周してみます。
Lange Brückeを渡ります。すぐ向こうに Stadtschlossとその奥に St.Nikokaikircheが見えています。ポツダムを象徴する建物です。St.Nikolaiは商業や交易の守護神とされ、かつては河川や港湾を中心とした交易が重要だったという背景から St.Nikolaiはそういう水辺に建てられたという経緯があります。
ここもそういう意味では川沿いにありますが・・・この教会の発祥はそう古いわけではなく「この新興の居城および駐屯都市ポツダムにとって、(元々そこにあった聖カタリナ教会は手狭でした。1721 年、バロック様式の新しい教会を建設するために、この教会は取り壊されました。フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の希望により、この教会は聖ニコラウスに捧げられました」・・・とあります。
これは Stadtschlossと呼ばれる王宮で現在は州議会の議事堂として使用されています。言われなければまず気が付きませんが、この建物は第二次大戦で大きく破壊され、残りの廃墟も東独政府によって完全に破壊されていたところを、2010年から2013年にかけてブランデンブルク州議会の決議により再建されたものなのです!まあ正直申してこれがあるのとないのとではポツダムの町の印象は全く異なるものになっていたことでしょう。下に様子を記録した4分ほどの動画があります。

Von Paul Korecky – 2018-08-10 DE Potsdam, Havel, Potsdamer Stadtschloss, Charlottenhof 05609390, CC BY-SA 2.0, ソースはこちら
この景色から前景の王宮が無い様を想像してみてください。2013年まではそういう風景だったのです。
東独政府は東ベルリンにあった Stadtschlossも爆破してその跡地に共和国宮殿(Palast der Republik)という国会議事堂を建設します。が、そこにアスベストが多用されていたことが分かり使用が中止されて廃墟となっていました。いまはそれを解体し、かつての Stadtschlossが再建されています。サムネイル画像はクリックするとスライドショーになります。



































