特別寄稿:エスアイアイ・プリンテック 橘正夫取締役

エスアイアイ・プリンテックにて技術開発と、主として海外市場開拓や顧客の装置開発をサポートされ、同社の、いや日本の産業用インクジェットの存在感を世界に対して高める仕事をされてきた橘取締役に「そのご経験を基に、思うとことをご寄稿下さい」とお願いし、快諾を得ました。

私の前職では、ヘッドメーカーという立場では競合ではありましたが、むしろ志を同じくする同志として、産業用インクジェットをどう弘めていくか、その中で日本の存在感をもっと高めるにはどうすればいいのか?などを語り合える貴重な存在です。今回のご寄稿内容にも共感するところ大です。

同業者にして大学同期生の大野さんに寄稿を求められて、一文を草する事になりました。OIJCに多少なりとも関わる話題といえば(大野さんには及びもつかないが)散々やって来た対外発表がまず思い浮かびます。

最初は修士時代の応物学会だったと思いますが、暗くて狭くて暑苦しい部屋での15分とかの短い講演の連続にはほとほと嫌気がさした。その後就職し、30年位前の当時は光通信に従事していた関係で、IOOCとかIEEEとかで発表するようになりました 。その頃の光通信分野では英米日が技術的に圧倒的優位にあり、日本からはNTT通研の発表が過半を占めていましたが、それらの講演には他外国機関からのものと比べて以下のような特徴が顕著でした。

1. 技術内容は高いレベルにある。
2. 発表者は概して若手で講演経験は殆ど無いらしく、英語表現は芳しく無い(というか、用意した原稿の棒読みで聴衆の反応には無関心、講演後のQ&Aは座長の助けで何とか切り抜けようとはするが、それでも意思疎通不能)。
3. 予稿の最後には必ず謝辞が入るが(海外論文では稀)それは全て自社の研究室長や所長等の上司へのものである。
4. 論文中の先行文献への引用は、ほぼ全て所属組織の過去数年内での業績に限られる。

2番目は当時としては仕方無かったかも知れない。私の英語だって拙いものだったし(今でもか)。しかし個々の表現レベル云々より、そもそも所属組織のビジョンに基づく発表という印象が薄く、業界への訴求力に欠けた。単に若手の修行機会を与えているに過ぎない印象でした。そして3番目と4番目はあまりにも異色。何せ海外からの論文には Newtonから説き起こすものもある位で、遠い過去から続く展開の中での意義を誇示しようとして、その文脈では所属組織への挨拶などは雑音に過ぎない。

この手の内向きで近視眼的な傾向は今では随分変わって来たとは思いますが、インクジェット関係のカンファレンスでも時としてその残滓が感じられます。会社が参加費用や旅費を出している以上、ある程度自社製品の広告宣伝要素が占めるのは仕方がないし、私にとっても同様である事は否めない。でもその自社製品乃至は技術の社会的、歴史的(ちょっと大げさか)意義を敷衍しなければ、本当にただの広告宣伝に終わってしまわないか。

未だ若くて将来の何ともが描けなかった頃に読んだ本の中で、忘れられないものに「1946文学的考察」がありました。加藤周一、中村真一郎、福永武彦各氏が戦前から抱いていた明確なビジョンへの賛嘆もさる事ながら、その章建ての「時間・空間・焦点」というタイトルが、今に至る迄の(大袈裟ですが)僕の世界把握を殆ど規定している。関心の対象が何であろうと、過去から連綿として伝わる時間と広大でありながら密接に関わりあう空間とのパースペクティブ無しに、どのような焦点を結べるのでしょうか?

大野さんは、アナログからデジタルに至る時系列と、グローバル的には特殊な日本の状況を看破した上で、明確なパースペクティブの下にインクジェット業界の日本における焦点に働き掛けようとしているように見受けられます。その壮図に僅かでも助けになればと思い、拙文を寄稿しました。

(文中の太字部分は大野の編集によります)

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