旧東独・旧ドイツ領の町を踏査して新たに気が付いたこと

私は退職以降も毎年ヨーロッパの展示会に出かけています。特にここ数年は5~6月に数週間ドイツやポーランドに滞在し、展示会の合間に「旧ドイツ領の町」の訪問を続けています(どっちが合間なのかはさておき(笑))。11年間のドイツ駐在中に訪問した町も含めてプロットすると上の地図のようになります。赤は 2025年に行ったところ、また南欧は地図に入ってはいませんが結構カバーしています。これまで 都市以上の見聞記を書いています。

背景は長くなるので今回は省略しますが、私の興味の対象は「ドイツ東方植民」「ドイツ騎士団」「煉瓦造りのゴシック建築」「ハンザ同盟」「ポーランドとの関係」「この地域の文化と多様性」・・・などです。一部ですがこちらにも記述があります。というわけで、ドイツの中でも旧東独地域、ポーランドやチェコでも旧ドイツ領あたりにフォーカスしているのです。

右の表は私が行ったことのある「現ポーランドの旧ドイツ領の町」です(クリックすると拡大します)

さて、私がこのあたりのフィールドワークをしてみて新たに気が付いた深堀してみたいテーマの例としては:

1)このあたりの町(北ドイツ・北ポーランド・バルト海沿岸)にある教会は「聖ニコライ教会(St.Nikolai)」「聖マリア教会(St.Marien)」が圧倒的に多い。何故か?南部には「聖ペーター教会(St.Peter)」「聖マルティン(St.Martin)」「聖シュテファン(St.Stephan)」などが多く明らかに様相が異なる

2)集落が都市となる際に与えられる権利(Stadtrecht)・法体系に「リューベック法」と「マクデブルク法」が2大主流をなしているように思われるが何故か?どう違うのか?ほかにもあるのか?

3)旧東独北部の町にはマルクト広場(市庁舎の前)には「ローランド像」が立っていることが多い。これは何を意味するのか?例外的な飛地としてブレーメンにもあるが何故なのか?また旧ドイツ領でも今のポーランド領には見られないのは何故か?

4)この地域の教会のオルガンについて:教会は通常は軸を東西に置き、西に入口があり東に祭壇がある。そしてメインのオルガンは西の入り口から入って東の祭壇に向かって進み、振り返ると入口の上に「ひとつ」据え付けられているのが殆どである。こういうなかで「同じ形のオルガンが左右対称に相対峙して置かれ、その真ん中にはスペースがある」という形式のものが少なくとも2つ存在する(他には見つかっていない)・・・これは何故そういう設計にしたのか?他にないのは何故か?

5)Sachsenspiegelとは何か?

こういうのは行ってみて初めて気が付くもんなんですね。特に最後の「対峙型オルガン」はこれまで2例しか見つかっておらず、ここに気が付いたのはかなりレアな発見のようです。次回以降、これらの(自分が抱いた)疑問を少しずつ分かりやすく解説していこうと思います。

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