誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(101)★ブランデンブルク Brandenburg -10-

ブランデンブルク Brandenburg -9- からの続きです

Von Gregor Rom – Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0, ソースはこちら

聖ゴットハルト教会

この教会は、スラブ人のブランデンブルクにドイツ人商人たちが定住した「パルドゥイン」という集落に由来しています。おそらく1147年、最後のスラブ人王プリビスラフ・ハインリッヒが、ライツカウのプレモントレ修道院から9人の聖職者たちを集め、この教会を設立しました。12 世紀半ば、記念碑的なロマネスク様式の野石造りの大聖堂の建設が開始されました。西側の建物は、エルベ川東部で最も古い教会建築の残骸として現存しています。未完成の双塔のファサード、ロマネスク様式の階段状の門、同じく未完成の玄関は、この新しい教会が抱いていた高い志を表しています。1161年には、この修道院は新しく設立された大聖堂の参事会に指定され、1165年に大聖堂の島に移転しました。それ以来、ゴットハルト教会は旧市街の教区教会となっています。

1456年以前、建築家H.ラインストープの指揮のもと、3身廊の階段式ホールと回廊式聖歌隊席を備えた新建築の建設が開始されました。統一感のある後期ゴシック様式の内部は、らせん状に上昇する模様のある円柱が特徴です。当初の設計には、聖歌隊席にある 5 つの平らな輪状礼拝堂、北側の礼拝堂の増築部分、2 階建ての南側の増築部分、聖具室も含まれています。南側に西側の礼拝堂が増築され、1475 年に建設は完了しました。建設当時の巨大な屋根構造は完全に保存されています。

宗教改革後、1559年に聖歌隊席には、最後の晩餐を描いた新しい主祭壇が設置されました。1623年、織物職人組合(柱に記念碑)が、使徒パウロの像と音響カバーを備えた説教壇を寄贈しました。1736年から1737年にかけて、座席数を増やすため、木製のギャラリーが設置され、豪華なバロック様式のファサードを備えたバロックオルガンが設置されました。1767年、塔には八角形の頂部とドーム、ランタンが取り付けられました。1972年、火災によりバロック様式のオルガンが焼失し、これを機に内部が修復されました。聖ゴットハルト教会には、13世紀の洗礼盤や15世紀半ばの勝利の十字架など、中世からの重要な備品が残っています。16世紀から18世紀の墓碑が数多く残されていることも特筆すべき点です。

お、さっき横町から見えた建物が…!

旧市街の市庁舎とロラン(ローランド)像

旧市街の市庁舎
1270/90年頃、市場に木造のホールが石造りの地下室の上に建てられました。1450年頃、現存する北側の増築部分が追加されました。この増築部分は2階建てのアーチ型で、円形と紋章の装飾が施されていました

1468年頃、旧地下室の場所に現在の市庁舎が建設されました。1階には3つの身廊を持つ市場ホールがあり、その上には複数のゾーンに分かれた評議会室がありました。市場に面した塔は、刑務所、法廷、文書館、武器庫、時計、鐘など、市議会を象徴する施設でした。陶製の装飾は、ツィーザールやタンゲルミュンデでも活躍した、ブランデンブルク出身の無名の建築家による代表作です。スパーゴシック様式の屋根も、その大部分が保存されています。

1715年にノイシュタットと合併した後、空き家となったこの建物は、1753年にバーチメント製造工場(Barchentmanufaktur:起毛のある綿と麻の混紡生地)に改築され、1819年には裁判所、1863年以降は軍によって使用され、1911年から1912年にかけては、市の祝賀会場として大規模な修復工事が行われました。2006年から2007年にかけての改修工事以来、この建物は再び市のイベント会場およびレストランとして使用されています。

キリスト教の英雄ロランは、12 世紀の匿名詩「ロランの歌」によって、カール大帝の忠実な騎士として人気を博しました。カール 4 世の時代以降、ロランの像は、特にドイツ北西部で、市場を保護する王の象徴として設置され、都市の自由を象徴しています。

1402 年以降、ブランデンブルクの新市街にローランド像が存在したことが確認されています。現在の、高さ 5.3 m の砂岩製の像は、鎧を身に着け、剣を掲げており、1474 年の作で、現存する最古のローランド像のひとつです。この像は、もともと新市街の市場に立っていました。

しかし、プロイセン軍が訓練を行う際に邪魔になるという理由で、1716年にノイシュタット市庁舎前に移設され、第二次世界大戦で市庁舎が破壊された後、1946年にアルトシュタット市庁舎前に移設されました。1556年に改修され、1709年に新たに彩色が施され、1930年に石材が露出する形で修復されました。像の頭部のくぼみには、雷撃から身を守るといわれる「雷草」(セイタカアワダチソウ)が生えています。

ブランデンブルク Brandenburg an der Havel -11- に続きます

関連記事

ページ上部へ戻る