誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(115)★★★ ギュストロウ Güstrow -3-

★★★ ギュストロウ Güstrow -2- からの続きです

こちらはドイツ・メクレンブルク=フォアポンメルン州のギュストロー(Güstrow)駅近く、アイゼンバーン通り14番地(Eisenbahnstraße 14)に立つ旧「帝国鉄道局(Reichsbahnamt Güstrow)」の庁舎ビルです。この由緒ある建物の歴史と由来を解説します。

1. 建築の背景(1923年)この建物は1923年に建設されました。元々は隣接する敷地にあったファン・トンゲルン(Van Tongel)鋼鉄会社がオフィスビルとして建てたものですが、後に国鉄の管理ビル(鉄道局)として使用されるようになりました。地下1階、地上3階建てで、最上階には屋根裏部屋(マンサード屋根)が備えられています。

2. 特徴的な正面玄関正面玄関のポータル(入り口)は、古代ギリシャの神殿を思わせる重厚な柱で装飾されています。上部の三角形の壁(ティンパヌム)には、鉄道の象徴である「翼の生えた車輪(動輪)」のレリーフが刻まれており、かつて鉄道の要所として機能していた名残を今に伝えています。ナチス時代にはこの下に丸で囲まれた鍵十字がありましたが、戦後の非ナチ化の政策の中で現在は削り取られています。また、柱の上には「Reichsbahnamt(帝国鉄道局)」の文字がくっきりと残されています。

3. 歴史の変遷と閉鎖(1991年)ギュストロー駅は1880年代以降、ドイツ北部メクレンブルク地方の最重要の鉄道結節点(ジャンクション)として非常に栄えていました。しかし、1990年のドイツ再統一に伴う民営化や路線の合理化、貨物輸送の激減により、この鉄道局は1991年に廃止されました。その後、鉄道の技術部門も1994年までにすべて解散しています。

4. 現在の状況(老朽化と救済の動き)1996年に一度部分的な修復が行われたものの、その後は買い手がつかず、長年にわたり空き家のまま放置されていました。そのため、窓ガラスの破損や落書き(グラフィティ)などの激しい損壊(ヴァンダリズム)に晒され、近年では外壁の漆喰が剥がれ落ちて歩道に落下する危険が出るほど老朽化が進んでいました。しかし、歴史的な鉄道遺産を残すため、現在はギュストロー市が新しい投資家(所有者)を探しており、建物を売却して再び地域で活用するための交渉やリノベーションの計画が進められています

さてここで鉄道オタクに、いやむしろ鉄道オタクではない皆さんに問題を出します。クイズというと軽くなってしまいますがもう少し真面目な質問です。

★ 戦後、東西ドイツの鉄道は西独では Deutche Bundesbahn(ドイツ連邦鉄道)と称したのに対し東独では Deutsche Reichsbahn(ドイツ帝国鉄道)と戦前の名前を引き継ぎました。ん?帝国鉄道?それって社会主義国の東独の国家理念に反しませんか?なぜ「Reichsbahn 帝国鉄道」なのでしょうか?

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そもそもドイツ語の Reichを「帝国」と訳した日本語にその勘違いのルーツがあります。

日本人にとって「帝国」というと帝国海軍・帝国陸軍・帝国大学などかなり軍国主義的な響きがあります。しかしドイツ語では必ずしもそうではありません。例えば Reichstag(国会議事堂)これも帝国議会と訳されますが、ワイマール共和国になってもその建物は Reichstagのままでした。共和国なのに帝国議会というのは日本語では違和感がありますね。Reichsbahnも同じです。正式名称は Deutsche Reichsbahn これは日本語ではドイツ帝国鉄道と訳されます。しかし鉄道員が毎日「俺たちは(帝国軍人だ!というような感覚で)帝国鉄道員だ!」と思っていたかというと、全くそうではありません。実際には国鉄程度の感覚だったと思われます。大野さんのご指摘は非常に重要です

(大野)「Reichsbahnは日本語では帝国鉄道と訳されますが、感じとしては国有鉄道くらいで、政治的な帝国鉄道という意識はなかったのでは?」

これは、言語学的にも歴史的にもかなり本質を突いた見方です。特にDDRが40年以上にわたって「Deutsche Reichsbahn」という名称を維持し続けたこと自体が、「Reich」という語が当時の東ドイツ社会で必ずしも「帝国主義」や「軍国主義」を意味していなかったことを示す有力な証拠と言えるでしょう。

ドイツ人にとっての Reich は、日本人が「帝国」という漢字から受ける印象よりも、はるかに広く「国家」「国」という中立的なニュアンスを持つ語だった、という理解が実態に近いと思います。

なぜDDRでも残ったのか

ここが非常に面白いところです。1949年に東ドイツ(DDR)西ドイツ(BRD)が成立します。すると西側では Deutsche Bundesbahn(ドイツ連邦鉄道)になります。ところが東側は Deutsche Reichsbahnのまま。これは単にナチス時代の名称を残したという話ではありません。最大の理由はベルリンでした。ベルリンは四カ国占領下でした。戦後の協定ではベルリン全域の鉄道運営権は Deutsche Reichsbahnが持つと定められていました。つまりもし DDRが Deutsche Staatsbahnなどへ改称すると法的にベルリンの鉄道運営権を失う可能性があったのです。そのため名称だけは維持しました。

これは、ギュストローゆかりの詩人を称える「ジョン・ブリンクマンの泉(John-Brinckman-Brunnen)」という記念碑(噴水)です。地元の言葉(低地ドイツ語)では、作品にちなんで「フォース・ウント・スウィネーゲル(Voß un Swinegel=キツネとハリネズミの泉)」とも呼ばれています。駅前のブライヒャー通り(Bleicherstraße)沿いに位置しており、1908年7月3日に除幕されました。

このモニュメントの由来とユニークな特徴を解説します。

1. 誰のためのモニュメント?ドイツの有名な作家・詩人であるジョン・ブリンクマン(John Brinckman, 1814–1870)の功績を称えて建てられました。彼は現在のメクレンブルク地方の母語である「低地ドイツ語(プラットドイチュ)」で多くの美しい詩や物語を書いた人物です。ロストック出身ですが、人生の後半の21年間をここギュストローで教師として過ごし、この地で亡くなりました。柱の中央には、彼の顔のブロンズ製レリーフが飾られています。

2. なぜキツネとハリネズミがいるの?中央にたたずむキツネと、手前の小さな台座にいるハリネズミのブロンズ像は、ブリンクマンが1854年に発表した代表作の小説『キツネとハリネズミ(Voss un Schwinegel)』に由来しています。グリム童話の「ウサギとハリネズミ」のように、足の速いキツネを、知恵を使って騙すコミカルな動物たちの物語で、地域の人々に今も愛されています。

3. モニュメントの作者ブリンクマンの長男(ハンブルクの商人)が資金を寄付し、プラウ(Plau)出身の著名な彫刻家であるヴィルヘルム・ヴァントシュナイダー(Wilhelm Wandschneider)が制作を手掛けました。花崗岩の立派な柱(ステレ)とブロンズの動物たちが美しく調和した、非常に芸術性の高い噴水です。

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