- 2026-7-14
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この町にも何度か来たことがあります。地図をご覧いただくとわかりますが、Fernverkehr(遠方へのアクセス交通)の道路は東西や南に通じており、町に入って適当な場所にクルマを停めて街歩きする際は必然的に西や南からマルクトなどに向かってアプローチすることになります。
今回は町の北東にある駅からのアプローチとなるので、これまで来たことのなかった方角から町を感じることができます。へえ、こうなっていたのか、この町は・・・と新鮮な感じがするのです。
南からマルクトにアプローチすると、そこのレストランで魚料理を食したり広場の感じを楽しんだりしてそこから奥にはなかなかいかない=この先に何が広がっているのかわからないワケです。今回はその先の限界からマルクトに向かって歩くのでこれまで知らなかった部分を埋めた気分になるのです。意外と大きくは無いんだね・・・とか・・・
白くて立派な方が旧駅舎です
ヴィスマール駅は、エルスターヴェルダ発の地域急行RE 8号線と、テッシン発の地域鉄道RB 11号線の終着駅である。1998年までは、2003年に廃止されたカロウからの路線の終着駅でもあった。2001年までは長距離列車もここを運行していた。駅舎および駅構内のその他の建物は文化財に指定されている。
駅から歩きだすとすぐにニコライ教会(Nikolaikircheあるいは St.Nikolai)に出会います。目の前には運河があり、写真を撮るにも引いて撮る場所が無いので自ずと縦位置のものばかりになります。下の写真は Wikipediaからの拝借したものです。塔の切妻部、南側の凸部の切妻部に特徴的な装飾があります。

Von Foto: Störfix, Lizenz: Creative Commons by-sa 3.0 de, CC BY-SA 3.0 de, ソースはこちら
ニコライ教会(ヴィスマール)
ヴィスマールにあるニコライ教会(聖ニコライ教会とも呼ばれる)は、1381年から1487年にかけて、船乗りや漁師のための教会として建設された。北ヨーロッパにおける後期ゴシック様式の傑作とされている。ニコラウス教会は、ヴィスマールの旧市街の一部として、2002年からユネスコ世界文化遺産に登録されている。現在は市の所有であり(教会税参照:ヴィスマールの教会税は、同市の教会を維持するためにハンザ都市ヴィスマールが管理する信託財産であり、ドイツの国家教会法における特例である)、北ドイツ福音ルーテル教会のメクレンブルク教区、ヴィスマール教区に属する聖ニコラウス教区の教会として機能している。
歴史
この都市の定住史に関する最近の研究結果によれば、グルーベ付近にあった古い商人集落には、すでにニコラウスに捧げられた教会が存在していたと推測されているが、この仮説を裏付ける証拠は存在しない。聖ニコラウス教区は13世紀半ば以前から存在しており、1230年頃の都市創設期に建てられた教会を中心としていたと考えられる。現在の教会堂の建設は1370年頃に始まった。ヴィスマールの市議会は、市長ヨハン・ダルゲツォウを教会理事長として、1381年に建築家ハインリヒ・フォン・ブレーメンに聖歌隊席の完成を委託した。彼は1379年からリューネブルクのミヒャエリス修道院の建築責任者を務めていた。リューネブルク産の成形レンガが多数使用されており、これはレンガの刻印から確認できる。主祭壇の奉献は1403年に行われたことが記録されている。ブレーメンの石工親方は1415年まで教会の建設に携わっていた。
1434年には北側側廊の工事が行われ、1437年には南側側廊の工事が行われた。1459年、現場監督ペーター・シュトルプと建築家ヘルマン・フォン・ミュンスターの下で、実務的な工事が完了し、教会は奉献されるに至った。1485年から1487年にかけて、石工親方のハンス・メルテンスと現場監督ハンス・シュレーダーが塔の上部2階を建設し、塔の尖塔は1508年に設置された。1703年12月8日、異常な暴風により、塔の尖塔が破壊された。その破片が中央身廊の屋根やアーチを突き破り、中世の装飾品を含む多くの内装品が破壊された。その後、塔には横向きの切妻屋根が、中央身廊には平天井が設けられた。内装の修復は18世紀後半まで続いた。1867年になってようやく、再びアーチが再建された。1880年から1881年にかけて、教会の大規模な改修が行われたことが記録されている。中世の様式を参考にした空間構成もこの時期にさかのぼる。同時に、中世の壁画も修復された。東側の屋根塔、いわゆる「シュタイガー塔」は1890年に建設された。第二次世界大戦の空襲による教会の被害は軽微だった。甚大な被害を受けた聖ゲオルゲン教会や聖マリア教会から、数多くの内装品がここに新たな居場所を見つけた。ここ数年の包括的な補強工事は、主に屋根(1963年)、支保壁、および上部壁体に対して行われた。

Von Krzysztof Golik – Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0, ソースはこちら

Von Krzysztof Golik – Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0, ソースはこちら

Von Siegfried von Brilon – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, ソースはこちら














































