- 2026-1-9
- ブログ
オラニエンブルク Oranienburg -3- からの続きです
Oranienburg ist nicht nur als Standort des Kurfürstenschlosses bekannt, sondern auch als Ort einer anderen Einrichtung, die in der deutschen Zeitgeschichte nicht zu übersehen ist: das Konzentrationslager Sachsenhausen. In dieser Reihe „Unbekannte deutsche Städte” stelle ich oft Städte in der ehemaligen DDR vor, wo Konzentrationslager relativ häufig vorkommen, aber ich habe es bewusst vermieden, dieses spezielle Thema anzusprechen.
Natürlich ist es ein Thema, das man nicht umgehen kann, wenn man über die deutsche Geschichte oder die Geschichte der Städte redet. Da meine Website aber oft von deutschen Freunden besucht wird, hab ich mir vorgenommen, dieses Thema nicht aus reiner Neugierde leichtfertig anzugehen. Eines ist klar: Deutschland setzt sich weiterhin ernsthaft mit diesem schweren Thema auseinander. Ich finde, das verdient Respekt.
オラニエンブルクといえば選帝侯の城があった場所というだけでなく、もう一つドイツの現代史上では避けて通れない場所(施設)がある場所としても知られています。ザクセンハウゼン強制収容所です。私はこの「誰も知らないドイツの町」シリーズで収容所跡が比較的多い旧東独の町を採り上げることが多いのですが、敢えてこのテーマは採り上げることをしていません。
もちろん、ドイツの現代史や町の歴史を語る上で避けて通ることはできないテーマではあるのですが、私のサイトにはドイツ人の友達の訪問も多く、興味本位で軽々しく、このテーマを扱うことはしない方針です。一つクリアなのは、ドイツはこの重い問題に真摯に向き合い続けているということです。これはリスペクトに値すると思います。
Die Stelle, wo das Konzentrationslager Sachsenhausen war, ist ungefähr 2 Kilometer nordöstlich vom Schloss. Wenn man sich die Luftbilder anschaut, sieht das Gelände wie ein gleichseitiges Dreieck aus.
ザクセンハウゼン収容所跡は、お城の東北東約2kmのところにあり、航空写真で見るとその敷地は正三角形に見えます。
私が初めてここに来たのは 1992年 3月、帰国命令が出て帰国までの間、家族を先に日本に帰し、残り少ない駐在期間に旧東独のあちこちをドライブした時のことです。旧東独にあったザクセンハウゼン収容所は博物館になっていましたが、そこは旧東独の政治教育の場でもありました。博物館の展示は西独に統合されて視点を変えて再編されようとしていました。その辺の経緯は下に当時書き記した文章をアップしておきます。
その一つの事例がここです。この収容所は戦後ソ連赤軍が旧東独を占領した際に、ソ連視点での「政治犯」を収容する刑務所として転用され、勝者としてのソ連が政治犯を虐待や処刑を行った場所でもあります。そういう説明看板が立てられていますが、ソ連に隷従するしかなかった旧東独時代にはあり得ないものだったと思われます。
もうひとつはこちら・・・収容所本体の手前右手に建物があり「MUSEUM DES ANTIFASCHISTISCHEN FREIHEITSKAMPFES DER EUROPÄISCHEN VÖLKER(欧州人民による反ファシスト的自由闘争の博物館)」とあります。
この Antifaschistischという単語は東独独特のもので、この単語があるだけで東独時代の文書だとピンとくるくらいなのです。
しかし入口でもらった、最近刷られたと思しきパンフレットには「Neues Museum(新博物館)」と記載されています。
推測ですが、収容所の展示コンセプト全体を見直すにはかなりの議論と時間がかかるということで、まずは印刷物程度の変更で済む簡単なところから手を付けたということでしょう。
オラニエンブルク Oranienburg -5- に続きます





































