誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(103)★★オラニエンブルク Oranienburg -4-

オラニエンブルク Oranienburg -3- からの続きです

Oranienburg ist nicht nur als Standort des Kurfürstenschlosses bekannt, sondern auch als Ort einer anderen Einrichtung, die in der deutschen Zeitgeschichte nicht zu übersehen ist: das Konzentrationslager Sachsenhausen. In dieser Reihe „Unbekannte deutsche Städte” stelle ich oft Städte in der ehemaligen DDR vor, wo Konzentrationslager relativ häufig vorkommen, aber ich habe es bewusst vermieden, dieses spezielle Thema anzusprechen.

Natürlich ist es ein Thema, das man nicht umgehen kann, wenn man über die deutsche Geschichte oder die Geschichte der Städte redet. Da meine Website aber oft von deutschen Freunden besucht wird, hab ich mir vorgenommen, dieses Thema nicht aus reiner Neugierde leichtfertig anzugehen. Eines ist klar: Deutschland setzt sich weiterhin ernsthaft mit diesem schweren Thema auseinander. Ich finde, das verdient Respekt.

オラニエンブルクといえば選帝侯の城があった場所というだけでなく、もう一つドイツの現代史上では避けて通れない場所(施設)がある場所としても知られています。ザクセンハウゼン強制収容所です。私はこの「誰も知らないドイツの町」シリーズで収容所跡が比較的多い旧東独の町を採り上げることが多いのですが、敢えてこのテーマは採り上げることをしていません。

もちろん、ドイツの現代史や町の歴史を語る上で避けて通ることはできないテーマではあるのですが、私のサイトにはドイツ人の友達の訪問も多く、興味本位で軽々しく、このテーマを扱うことはしない方針です。一つクリアなのは、ドイツはこの重い問題に真摯に向き合い続けているということです。これはリスペクトに値すると思います。

Die Stelle, wo das Konzentrationslager Sachsenhausen war, ist ungefähr 2 Kilometer nordöstlich vom Schloss. Wenn man sich die Luftbilder anschaut, sieht das Gelände wie ein gleichseitiges Dreieck aus.
ザクセンハウゼン収容所跡は、お城の東北東約2kmのところにあり、航空写真で見るとその敷地は正三角形に見えます。

私が初めてここに来たのは 1992年 3月、帰国命令が出て帰国までの間、家族を先に日本に帰し、残り少ない駐在期間に旧東独のあちこちをドライブした時のことです。旧東独にあったザクセンハウゼン収容所は博物館になっていましたが、そこは旧東独の政治教育の場でもありました。博物館の展示は西独に統合されて視点を変えて再編されようとしていました。その辺の経緯は下に当時書き記した文章をアップしておきます。

その一つの事例がここです。この収容所は戦後ソ連赤軍が旧東独を占領した際に、ソ連視点での「政治犯」を収容する刑務所として転用され、勝者としてのソ連が政治犯を虐待や処刑を行った場所でもあります。そういう説明看板が立てられていますが、ソ連に隷従するしかなかった旧東独時代にはあり得ないものだったと思われます。

もうひとつはこちら・・・収容所本体の手前右手に建物があり「MUSEUM DES ANTIFASCHISTISCHEN FREIHEITSKAMPFES DER EUROPÄISCHEN VÖLKER(欧州人民による反ファシスト的自由闘争の博物館」とあります。

この Antifaschistischという単語は東独独特のもので、この単語があるだけで東独時代の文書だとピンとくるくらいなのです。

しかし入口でもらった、最近刷られたと思しきパンフレットには「Neues Museum(新博物館)」と記載されています。

推測ですが、収容所の展示コンセプト全体を見直すにはかなりの議論と時間がかかるということで、まずは印刷物程度の変更で済む簡単なところから手を付けたということでしょう。

✙✙ この辺の経緯を書いた当時の駄文です。ここをクリックしてお読みください
ゾウについて

「ゾウについて」という課題が出された。イギリス人とフランス人はそれぞれ動物園に行ってゾウを観察し、それぞれ「ゾウ飼育の収益性」「ゾウの恋愛」という論文を書いた。ドイツ人は動物園に行かずに図書館に行って万巻の書を読み、「ゾウの本質」という論文を書いた。日本人も動物園には行かずに図書館に行って万巻の書を読み、「ドイツにおけるゾウ本質論の系譜」という論文を書いた。(長尾龍一『法哲学入門』より)

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週末、日本からの来客と一緒にベルリンの北にあるザクセンハウゼン強制収容所跡に行って来ました。日本人にはアウシュビッツほど知られていませんが、ガス室や焼却炉を備え、殺人工場の性格を持っていた、ビルケナウ、トレブリンカ、ブッフェンヴァルトなどと並ぶメインの収容所の一つだったようです

この一部が博物館になって当時の写真や遺物が解説付きで展示されているのですが、ふとおもしろいことに気がつきました。解説の論調が妙に政治的なのです。曰く「SS(親衛隊)の殺人者ども:SS-Mörderer」とか「ソビエト解放軍によって」とか...

壁いっぱいの大写真にも「反ファシズムの勇者達の顔」などというタイトルで、ナチスに政治犯として逮捕されたとおぼしき人々の「凛々しい顔」の写真が掲げられたりしているのです。普通なら単にSS幹部とか、ソビエト軍とか、収容された政治犯...くらいのキャプションだろうところ..

考えて見ればここは旧東独領で...第2次世界大戦の終結というのは「戦時中は国家社会主義(ナチズム)によって弾圧されていた共産主義のナチズム・ファシズムに対する勝利だ」..と位置付けられていたんですね。収容所の保存や博物館の建設も、もともとは東独人民軍によって行われ、政治教育の場として使われていた..という事実を知ると、展示の解説が妙にある種の政治色を帯びているのも納得がいきます

一方、今はその旧東独も事実上西独に吸収されたわけで、共産主義が崩壊した今となっては、そういう視点の土台自体が消滅してしまった。実際、最近印刷されたのであろうパンフレットの文章には、そのようなイデオロギー色は全く見あたりません。

おそらくパンフのような印刷物程度なら比較的簡単に内容の変更が出来たのでしょうが、博物館の展示全体のコンセプトを変えるとなると、大がかりな話にもなり、また戦後数十年、共産主義イデオロギーを刷り込まれ、簡単には転換(転向?)出来ない人たちの反対もあろうし..ということで、なにやら今となっては違和感の残る展示がそのままになっている..のでしょうか

この様な例は至る所に散見されました。博物館が出来る経過や現状などを関係者が纏めた本を買ったのですが...人によってスタンスが微妙に違うのが読んでとれます。「欧州人民による反ファシスト闘争の博物館」という文字が埋め込まれた別の博物館も、パンフレットでは新博物館..と記載されています。次の改装の時にはプレートも付け替えられるのでしょうか?また戦後、5年間ほどソ連軍の政治犯収容所として使用され、スターリン粛正対象者や反共産主義者の大量虐殺があった記述も最近になって追加されたようです

こういう事例を「発見」する度に妙に嬉しくなった小生は、もう少し文献を集めれば:
「強制収容所の解説文にみるドイツ分割・再統一の過程に於けるナチズムの評価の変遷に関する一考察」
..なんていう興味ある論文が書けるだろうな

..と思ったのですが...これって「ドイツに於けるゾウの本質論の系譜」じゃね~か..と、ふと気がついて思い出し笑いをしてしまった次第です。

オラニエンブルク Oranienburg -5- に続きます

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