誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(103)★★オラニエンブルク Oranienburg -3-

オラニエンブルク Oranienburg -2- からの続きです

鉄道博物館や東プロイセン博物館のような特殊なものは例外として、普段はあまり博物館には入らないんですが、ここはまあ他に見るものも多くは無いのでお城の博物館に入ってみます。

最初に出会うこの絵画は Googleの AIによると「フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(ブランデンブルク選帝侯)と、その妻であるルイーゼ・ヘンリエッテ・ファン・ナッサウの肖像画と考えられます。作者はヘラルト・ファン・ホントホルストです。フリードリヒ・ヴィルヘルム1世はブランデンブルク=プロイセンの統治者で、「大選帝侯」として知られています。この作品は、彼らの結婚を記念して描かれた可能性があります。絵画は、彼らが豪華な衣装を身につけ、威厳のあるポーズをとっている様子を描いています」・・・とのことです。

どうでもええけど、選帝侯はん、ちょいと太り過ぎとちゃいますか?ダイエットなんて概念なかったんですかねえ、この当時は・・・糖尿病になりまっせ(笑)


このちょっと煽情的にも思えるモチーフの絵・・・どこかで見たことはありませんか?

ルーベンスやカラヴァッジョなど多くの画家がこのモチーフによる絵画を制作しています。↓↓ サムネイルはクリックするとスライドショーになります。

 ルーベンスやカラヴァッジョの描いたものが有名ですが、「ローマの慈愛(Roman Charity)」と呼ばれているこの物語は、父親に対する娘の献身的な愛を象徴しています。 時代は古代ローマまでさかのぼり、歴史家ワレリウス・マキシムスが書いた「忘れざる行為の9冊の書とローマ人の言葉」に記録されています。

 餓死の刑に処されている父親キモン(Cimon)は食糧を与えられず、死の寸前にありました。そこへ居場所を探し出した娘ペロ(Pero)が現れ、死にかけている父に自らの母乳を与えます。彼女の行為は看守によって発見されてしまいますが、この献身的な行為は看守の心を動かし、父親の解放を得ることができたとされています。

しかしルーベンスとは画風が異なるので ChatGPTに「誰の作品なのか:を訊いてみました。結構考えたうえで出した結論(整理)は:

**この《Roman Charity(Cimon と Pero)》は、ヘラルト(ヘリット)・ファン・ホントホルストへの「帰属作品(attributed to)」と見るのが最も妥当です。※「確定作」ではなく、工房作/追随者作を含む帰属という位置づけです。

画像から読み取れる決定的ポイント

1. 強いカラヴァッジョ的明暗法(Utrecht Caravaggisti):背景はほぼ完全な暗闇:人物は左上からの単一光源で浮かび上がる→ ローマ留学後のホントホルストの典型語法
2. Pero の造形:理想化されすぎない、現実感のある肉体:乳房表現が官能に寄りすぎず、道徳的寓意に留まる:視線が観者ではなく、やや宙に逃げる→ ルーベンス系(誇張・劇的)とは明確に異なる
3. Cimon の老父表現:筋張った身体、くぼんだ胸、白い髭:苦悶と羞恥、感謝が混在した心理的表情→ Utrecht 派が得意とした「内面描写」
4. 構図の抑制:2人だけの閉じた空間:余計な寓意的小道具(兵士・鎖・鍵など)がない→ 宮廷向け寓意画として「上品な節度」

他の有名画家との比較(なぜ違うか):画家 特徴 本作との関係

ルーベンス 動勢・筋肉誇張・劇的 ❌ 強すぎる
カラヴァッジョ 生々しさ・暴力性 ❌ 過激すぎる
ヴァン・バビューレン 官能・世俗 ❌ 道徳性が弱い
ホントホルスト 明暗・心理・節度 ✅ 一致

なぜ「Oranienburg(オラニエンブルク)」にあるのか:これは非常に重要な点です。

オラニエンブルク城は**ブランデンブルク選帝侯家(ホーエンツォレルン家)**の宮廷空間、17世紀、オランダ美術はプロテスタント宮廷の教養と道徳を示す装置だった。「Roman Charity」は孝・貞節・家族愛・国家秩序の道徳的基礎を象徴する、極めて政治的な主題→ ホントホルスト級の「国際様式画家」が選ばれるのは自然です。

補足(学術的に正確に言うなら):作者名は「Gerard / Gerrit van Honthorst(帰属)」:制作年:1620年代前半と推定されることが多い:現在も再帰属の余地は残る(X線・顔料分析待ち)

この城の主であるフリードリヒ・ヴィルヘルム1世(ブランデンブルク選帝侯)の妻「ルイーゼ・ヘンリエッテ・ファン・ナッサウ」の肖像画

オラニエンブルク Oranienburg -4- に続きます

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