- 2025-8-6
- 日記的備忘録
前回ご紹介した Frankfurt an der Oderから少し下流に下ったところにまた国境の橋があります。ベルリンから見ればほぼ真東になる場所です。
ドイツ側にはさしたる町は無く、ポーランド側に「コストシン・ナド・オドロン(Kostrzyn nad Odrą)という町が見えます。
nad というのは英語でいえば「on」とか「upon」の意味で「Stratford-upon-Avon」(ストラトフォード=アポン=エイヴォン:シェイクスピアの故郷)のような使われ方をします。Rothenburg ob der Tauber(ローテンブルク・オプ・デア・タウバー)の obも同じです。
Odrą(オドロン)は Odra(オドラ)の変化形で ąはオンのように読まれます。
纏めれば「オドラ川の上のコストシン」という意味になります。
この町はオーデル(オドラ)川に面しているという立地から、古くからポーランドやプロイセンなど様々な支配者の「城塞都市」として機能してきました。しかし最後には第二次世界大戦時にドイツ軍がソ連赤軍がオーデル川を渡河する手前の最後の抵抗拠点として徹底抗戦したため、逆に徹底的に破壊されてしまいました。そのため歴史的な旧市街は再建されることは無く、戦後に新たに建てられた住居や、かつての要塞の廃墟が残るだけになっています。下の写真の下半分に要塞の跡と旧市街の残骸が見えています。

Von Kapitel – Eigenes Werk, CC BY-SA 4.0, ソースはこちら
国境の橋を渡ってドイツ側に行きます
ドイツ側にある Golzow(ゴルツォウ)という村は、「ここに住んでいる(いた)私と同年代の 1953生まれの子供たちがその後どんな成長をし、どんな人生を送ることになるのか?」というのを記録した超長編ドキュメンタリーを撮影したところとして知られています・・・あ、知る人ぞ知るですけど(笑)
ドキュメンタリーは、ドイツが東西に分かれ、ここは社会主義体制に組み込まれ、社会主義教育を受け、その中で幸せを見出しながら必死で生きていき、やがてベルリンの壁が開き、東西ドイツが統一され・・・そんな歴史に翻弄されながらも生きてきた一部始終を記録している・・・凄い作品なのです!