誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(118)★★★ キューリッツ Kyritz -11-

★★★ キューリッツ Kyritz -10- からの続きです

さて「お約束の」ソ連兵士の慰霊墓地も見たことだし、話としてはこの地域(Prignitz)の他の町 PritzwalkWittstockに移ろうと思っていたのですが「Sowietischer Firiedhof Kyritz」というようなキーワードで検索していた時に非常に興味深いドキュメントを見つけてしまいまして・・・これを書いておかなければ片手落ちということで、少しだけ深入りしてみます。これを知って、この町の見え方が大きく変わりました。

右の奥付の部分は文字が細かいのでクリックして拡大してください。Brandenburgische Landeszentrale für politische Bildung(ブランデンブルク州政治教育センター)が編集したVon Ostpreußen nach Kyritz:Wolfskinder auf dem Weg nach Brandenburg」 (Ruth Leiserowitz)東プロイセンからキューリッツへ:ブランデンブルクへ向かう「狼の子供たち ルース・ライゼロヴィッツ)というもので 114ページからなる pdfです

これを全部読み切るのは骨ですが、実際には読むことなく AIに要約させるというズルをやります(笑)しかし今回、この件を調べるにあたり AI(Co-Pilot, ChatGPT, Gemini)を駆使してみましたがその圧倒的な検索能力・要約能力・提案能力には驚かされました。

それによるとこのドキュメントは「第二次世界大戦末期に東プロイセンで孤児となり生きるための食べ物を求めて彷徨う様から Wolfskinder(狼の子どもたち)と呼ばれた子供たちが、飢餓と混乱の中でリトアニアへ逃れ、そこで生き延びたのち、1947〜48年にソ連当局によって 東ドイツ(Brandenburg・Kyritz)へ移送されるまでの過程を、証言と資料でたどった歴史研究」ということになります。

第二次世界大戦末期から戦後にかけて、旧東プロイセン(現在のポーランドやロシア、リトアニアの境界地域)の森林に取り残され、飢えや寒さから生き延びたドイツ人の孤児たちのこと。彼らは「狼の子どもたち」と呼ばれ、リトアニアの農家などに匿われながら過酷な日々を過ごした。背景と歴史第二次世界大戦の終戦時、ソ連軍に追われた東プロイセンのドイツ人家族が離散した。多くの子供たちが親を失い、バルト三国、特にリトアニアの森をさまよい歩いた。寒さや病気、極度の飢餓と戦いながら、農家で働く代わりに食べ物をもらって命をつないだ。身分を隠すためにリトアニア風の名前に変えさせられることも多かった・・・と非常に過酷な環境下に置かれたドイツ人の孤児たちです。

Wolfskinder 狼の子供たちについてはこれをテーマにし、2013年にRick Ostermannが監督と脚本を担当した映画があります。

映画『Wolfskinder(邦題:狼の子供)』は、第二次世界大戦終結直後の1946年、ソ連軍占領下の東プロイセンを舞台に、過酷な荒野をさまよい生き延びようとしたドイツ人孤児(通称「狼の子どもたち」)の実話を基にしたサバイバルドラマです。

母親を亡くした14歳の少年ハンスは、幼い弟と共にリトアニアの農家を頼って旅立ちますが、途中で弟とはぐれてしまい、行方不明の弟を探しながら飢えや寒さと闘う過酷な現実を描いています。

ストーリーの主な流れ

旅立ちと別れ: 母の死後、14歳のハンスは幼い弟フリッツェンを連れ、ドイツ人の子どもを受け入れてくれるというリトアニアを目指して出発します。しかし、道中でソ連軍の追跡や混乱に巻き込まれ、二人は離ればなれになってしまいます。

孤独な捜索とサバイバル: 弟を見つけ出すため、ハンスは危険な森や荒野を単身で進みます。その過程で同じように行き場を失った他の孤児たちと出会い、行動を共にするようになります。

極限の現実: 子どもたちはソ連赤軍の目を盗みながら、飢餓や病気、厳しい気候といった過酷な自然環境に直面し、生きるために人間性を試されるような過酷な日々を送ります。

サムネイル画像はクリックするとスライドショーになります

検索してみるとこのテーマを扱ったドキュメンタリーや小説は他にもいくつか見当たります。孤児たちが逃げた先がリトアニアだったため、リトアニア語の著作(Vilko Valkas)もいくつか見つかります。

映画は孤児たちが過酷な環境の中でリトアニアの森の中を彷徨いながらも逞しく生き抜いていく様を描いていますが、実際の話はこの続きともいうべき展開があり、そこに Kyritzが関係してくるのです。

冒頭の 114ページの pdfドキュメントには、1947~48年頃にソ連側が Wolfskinderを SBZ(Sowjetische Besatzungszone:ソ連占領地域、後の東独)に送還を始めたことが書かれています。

1948年には東独・ポーランド国境近くの東独の町 Pinnowに「Kinder- und Jugenddorf」という施設を作ってそこにまず送還し、その後更に Kyritzの「Kinder- und Jugenddorf(後に Kinderheim Ernst Thälmannと改名される)」に移したのです。

上の写真の建物はまさにその Kinder- und Jugenddorfであり、右のモノクロ写真は移された子供たちです。彼らはここで漸く森の中を食べ物を求めて彷徨い窃盗を働いて生き延びるという生活から解放され、その後の社会生活が可能なように再教育を受けることになるのです。

この場所は Perleberger Strasse 62, 私が止まっていた Marktplatzのホテルから徒歩で僅か 22分のところにあります。そうと知っていたら・・・(笑)

Wolfskinderというテーマは大変興味深く、また重いものです。多分私は Pinnowにあった一次帰還施設と Kyritzのこの教育施設には来年あたり行くことになる予感がしています。

★★★ キューリッツ Kyritz -12- に続きます

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