- 2026-8-19
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街歩きをします。小さな町なのですべての道を歩いたとしても 3km余りという感じ、歩数にして 20,000歩余りと楽勝モードです(笑)
上は人口推移の表ですが、ちょっと数字が小さいので見にくいですがクリックすると拡大します。大方の旧東独の中小の町は東西ドイツ統一時を人口のピークとして、そこから2~3割減るのが普通なのですが、この町の人口減少は1割ほどに留まっています。
地域の統合・分離などがあるため一概には言えませんが、あまりドラマチックな人口流出は起こっていないように見えます。家屋はいい感じに枯れていますが廃墟化して荒れた感じまではありません。もう少し磨けば光るのにな・・・
町の南半分に残る城壁に沿って歩いてみます。
中世の防衛遺構についての概要は以下の通りです。
歴史と構造
- 建設時期: 13世紀から14世紀にかけて、野石(Feldstein)や赤レンガ(Backstein)を使って築かれました。
- 不完全な円: 都市の東側と南側に強固な壁が作られましたが、駅前通り(Bahnhofstraße)とホルツハウゼン通り(Holzhausener Straße)の間は天然の湿地帯に守られていたため、壁は完全には閉じられていませんでした。
- 防衛設備: 二重の土塁(二重堀)と城壁、そして3つの主要な城門(ホルツハウゼン門、ヴスターハウゼン門、リュードー門)で構成されていました。
- 戦闘小屋(Wikhaus): 壁の沿道には約65メートル間隔で「ヴィックハウス(Wikhaus)」と呼ばれる半円形の戦闘・防衛用の小屋が配置されていました。
現在の見どころと特徴
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- 歴史の痕跡: 現在でも街の東側と南側に城壁の一部が残されており、修復された半円形のヴィックハウスを見ることができます。
- 修道院との境界: 歴史的なフランシスコ会修道院(Kultur|Kloster|Kyritz)の庭園(Klostergarten)に隣接しており、当時の街の境界線を今に伝えています。最近の調査では、城壁の一部にさらに古い中世の城門の跡が含まれていることが判明しています。
- ブーデンホイザー(Budenhäuser): 城壁にへばりつくようにして18世紀末(1780〜1799年頃)に建てられた、当時の日雇い労働者たちの小さな家々(宿舎)が残されており、現在は文化財として修復され観光名所(民泊など)になっています。
お約束のユダヤ人墓地は城壁の外にあるのです








































