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三十年前のドイツ(16):東独の国営テレビのニュース Aktuelle Kamera
私が住んでいたリューネブルグは東独国境までの距離が20kmくらいと近かったせいか、テレビでは西独の番組の他に東独の国営放送を受信することが出来ました。西独のニュース番組では、毎日のように東独市民がいろいろな方法で西に脱出…詳細を見る -
三十年前のドイツ(15):汎ヨーロッパ・ピクニック あの場所は今?
1989年8月19日に、ハンガリーの最西部の町ショプロン(Sopron)で催された「汎ヨーロッパ・ピクニック」なるイベントで多くの東独市民が西側に脱出しました。これは Wikipediaに詳細な解説があるので是非ご参照く…詳細を見る -
三十年前のドイツ(14):汎ヨーロッパ・ピクニック(Paneuropäisches Picknick)
さて、8月19日に、ハンガリーの最西部の町ショプロン(Sopron)で「汎ヨーロッパ・ピクニック」なるイベントが企画されます。これは Wikipediaに詳細な解説があるので是非ご参照ください。また、これにはオットー・フ…詳細を見る -
三十年前のドイツ(13):ハンガリー・オーストリア国境に起こった変化
さて、暫く東西ドイツの国境やベルリンの壁をご紹介してきましたが、本題の「三十年前のドイツ」に話を戻します。三十年前の今日、8月19日は、その後の11月9日のベルリンの壁の崩壊に繋がる重要な事件が起こりました。しかし舞台は…詳細を見る -
三十年前のドイツ(12):東西ドイツ国境の画像 Berliner Mauer
8月13日はベルリンの壁が築かれた日です。書きたいことは沢山あるのですが、ちょっとした気づきを書いておきます。下に続く3枚のブランデンブルグ門を西側から撮った写真をご覧ください。 私にとっての東西ドイツ分断…詳細を見る -
三十年前のドイツ(11):東西ドイツ国境の画像 Berliner Mauer
1981年3月、初めてベルリンに行った時の写真をアップします。 ベルリンの壁が構築されたのは1961年8月、私が小学校2年生の時です。ディズニー映画を見に行った映画館で、映画に先立って放映されたモノクロのニュース映…詳細を見る -
三十年前のドイツ(10):東西ドイツ国境の画像 Berliner Mauer
ベルリンの壁が崩壊して三十年になります。下記は1981年3月、壁が構築されてから二十年後、ハンブルグに駐在した私が、職場の同僚と初めてベルリンに旅行した時のメモです。鉄のカーテンの向こう側、社会主義国に初めて入った興奮が…詳細を見る -
三十年前のドイツ(9):東西ドイツ国境の画像 -その6- Harz(ハルツ)
一気に飛んでしまいますが、Harz(ハルツ山地)の国境です。 いまでこそ東西の国境は、ニーダーザクセン州とザクセンーアンハルト州の州境になって特段の管理はありませんが、当時はブロッケン山(霧の中に自分の影が映る…詳細を見る -
三十年前のドイツ(8):東西ドイツ国境の画像 -その5- Zicherie-Böckwitz
Zicherieは私の住んでいたリューネブルクから南南東に約90km、車で約一時間半のところにある、人口300人程度の国境の集落です。戦前は隣の集落 Böckwitzと実質的に一体をなしており、親戚も多く、Zicheri…詳細を見る -
三十年前のドイツ(7):東西ドイツ国境の画像 -その4- Dömitzer Brücke(ドェーミッツの橋)
この場所に初めて行った時の衝撃は今も覚えています。Dannenbergというエルベ川沿いによくある、ちょっといい感じの町に行き、そこから東独方面に車を走らせると「エルベ川の真ん中で道路が途切れている橋」があります。橋のた…詳細を見る