カテゴリー:ブログ
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三十年前のドイツ(26):ドイツ連邦共和国国歌
東独やソ連の国歌を紹介したので、バランスをとる意味で?西独(ドイツ連邦共和国 Bundesrepublik Deutschland)の国歌も紹介しておきます。旋律はご存知、ハイドンの弦楽四重奏「皇帝」の一節ですが、歌詞は…詳細を見る -
三十年前のドイツ(25):ソビエト共和国連邦(ソ連)国歌
折角なので、当時の社会主義陣営の中心、ソビエト共和国連邦の国歌、その崩壊後のロシア国歌を掲載しておきます。 https://www.youtube.com/watch?v=k_iZi7m3_fk 日本語 Wikiによ…詳細を見る -
三十年前のドイツ(24):東独の労働歌・革命歌など
東独のイベント、メーデーのパレードとか、FDJ(Freie Deutsche Jugend:自由ドイツ青年団)などの集会などで演奏・合唱されることの多かった曲を集めてみました。1900年初頭のロシア革命や社会主義運動にル…詳細を見る -
三十年前のドイツ(23):東独国歌 Die National Hymne der DDR
さてこの後、東独の崩壊への流れは大きなうねりとなり、誰も止められない勢いとなっていきます。従ってこの後、ご紹介する機会を逸してしまうかもしれないので、忘れないうちにここで東独の国歌をご紹介しておきます。まずは歌詞のあるバ…詳細を見る -
三十年前のドイツ(22):1989年9月初~中旬の状況
ハンガリー政府は遂に人道的見地から、国内に滞在していた万単位の人数の東独市民の出国を認めます。9月10日の日曜日の深夜、11日に日付が変わると同時に、どの国境検問所からを問わず、自分の行きたいところに出国していいという決…詳細を見る -
三十年前のドイツ(21):1989年9月初の状況
9月に入り、中欧ハンガリーやその周辺は秋の気配が濃くなり、天気も悪く寒くなってきています。私が住んでいた北ドイツでも、8月末には自動でスチームのスイッチが入っていました。ハンガリーに「休暇」という名目で滞在していた数万人…詳細を見る -
三十年前のドイツ(20):1989年8月末の状況
さて話を元に戻します。8月19日にハンガリーのオーストリア国境の町ショプロンで開催された「汎ヨーロッパ・ピクニック」を利用して東独市民が西側に脱出して以来、西独のニュースは「DDR Flüchtlinge」が毎回のトップ…詳細を見る -
お気に入りのホテル(8):MANNA(Nijmegen)
シリーズ8回目も、前回に続きオランダの Nijmegenという街にある MANNAというホテルです。駅から徒歩で10分以内、いつもスーツケースを転がして歩いて行きます。オランダによくあるレンガ造りの建物をリフォームしてホ…詳細を見る -
三十年前のドイツ(19):西独の子供向けテレビ番組 Die Sendung mit der Maus
東独の子供向け番組をご紹介したので、西独の代表的なものもご紹介しておきます。とぼけた味のネズミと、ゾウ、アヒルが、まったりとしたドタバタ劇を繰り広げます。日曜の午前中の放映で、東独情勢などが話題になる Pressshau…詳細を見る -
三十年前のドイツ(18):東独の国営テレビ番組 Unser Sandmännchen
ドイツでは(でも)子供が寝る前にお話を聞かせてあげるのは伝統です。この番組は英語に訳せば「われらの砂男(砂の小人)」というようなことになりますが、子供たちが寝る前に観る番組で、これを観ると「おやすみ」の時間というお約束に…詳細を見る