カテゴリー:ブログ
-
三十年前のドイツ(34):1989年11月9日木曜日 ベルリンの壁崩壊(1)
この日の夜、ベルリンの壁は崩壊します。が、既に書いてきたように、それはもう時間の問題となっていました。チェコスロバキアとの国境はパスポート無し、東独の身分証だけで通過することができ、かつ一旦チェコスロバキアに入ると、わざ…詳細を見る -
三十年前のドイツ(33):1989年11月1~8日までの状況
今、改めてこの頃のニュースを見直してみると、ベルリンの壁の崩壊やドイツの再統一はもはや必然の流れだったことを感じます。確かに11月9日に起こったベルリンの壁の崩壊は、予定に無かった原稿をうっかり読んでしまったシャボウスキ…詳細を見る -
お気に入りのホテル(10):Waldorf Astoria Shanghai on the Bund 上海外灘華爾道夫酒店
シリーズ10回目は上海の外灘にある由緒ある建造物(旧上海クラブ)を改造した Hilton系列の最高級ブランド Waldorf Astoriaです。 上海クラブについてはこちら ホテルの公式サイトはこちら …詳細を見る -
三十年前のドイツ(32):1989年10月下旬の状況
旧東独各地で政府サイドと民主化市民運動の対話が持たれるようになります。10日ほど前には考えられなかったことですが、東独のニュースでもその模様が報道され、テレビカメラの前で市民活動家が「旅行の自由」、「集会やデモの自由」、…詳細を見る -
三十年前のドイツ(31):1989年10月中~下旬の状況
10月18日に大きな出来事があります。18年に亘って社会主義統一党(SED)書記長の座にあったホーネッカーが全ての役職を解任されるのです。東独建国四十周年を祝った僅か十日余りでその座を追われることになりました。表面上は7…詳細を見る -
三十年前のドイツ(30):1989年10月上~中旬の状況
脱東者の波は収まる気配を見せません。西側のオーストリアに国境を接するハンガリーに行くにはチェコスロバキアを経由する必要があり、そこの国境警備を強化したものの、ワルシャワの西独大使館に逃げ込んだり、チェコスロバキアから無理…詳細を見る -
三十年前のドイツ(29):1989年10月上旬の状況
いよいよ10月にはいります。今にして思えば11月9日のベルリンの壁崩壊の40日ほど前ということなのですが、少なくとも現象面ではまだまだ直ちにそういうことが起こるとは思えない状況です。 10月7日に東独は1949年の…詳細を見る -
お気に入りのホテル(9):Grand Hotel De Draak(Bergen op Zoom)
シリーズ9回目も、オランダの ホテルですが、これはこの秋に新たに泊まったホテルです。オランダの Zeeland地方で、特に有名な(とはいえ日本人には殆どん知られていないフィリプィーネ(Philippine)という町に、旬…詳細を見る -
三十年前のドイツ(28):1989年9月下旬の状況
この週は大きなことが起こります。プラハの西独大使館に駆け込む東独市民は日に日にその数が増加し、ついに 2,700人に達します。秋も深まって寒くなり、天候も悪く、大使館の庭でのキャンプ生活も限界に達しています。赤十字や支援…詳細を見る -
三十年前のドイツ(27):1989年9月中旬の状況
ハンガリーに滞在していた東独市民は、ハンガリー政府の人道的措置によって西側に脱出することができた一方で、プラハやワルシャワの西独大使館に駆け込んだ人達の扱いはまだ不透明なままです。一方でチェコ経由でハンガリーに向かおうと…詳細を見る