カテゴリー:ブログ
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三十年前のドイツ(64):東独がまだ「DDR」だった頃のあちらこちら -6- Elbfähre
三十年前のドイツ(63):「まだ東独が「DDR」だった頃のあちらこちら -5- Lübz」からの続きです。 さて、今のメクレンブルクーフォアポメルン州にあたる場所からリューネブルクに帰るには、なんらかの方法でエルベ…詳細を見る -
三十年前のドイツ(63):東独がまだ「DDR」だった頃のあちらこちら -5- Lübz
三十年前のドイツ(62):「まだ東独が「DDR」だった頃のあちらこちら -4- Waren(Müritz)」からの続きです。 統一までもうあと3か月という時点で、フライングして「Rat der Gemeinde…詳細を見る -
三十年前のドイツ(62):東独がまだ「DDR」だった頃のあちらこちら -4- Waren
三十年前のドイツ(61):「まだ東独が「DDR」だった頃のあちらこちら -3- Güstrow」からの続きです。 中学校の地理の授業で「メクレンブルク湖水(湖沼)群:Mecklenburgische Seenpla…詳細を見る -
三十年前のドイツ(61):東独がまだ「DDR」だった頃のあちらこちら -3- Güstrow
三十年前のドイツ(60):「まだ東独が「DDR」だった頃のあちらこちら -2- Salzwedel」からの続きです。 今回は、前回の周遊ルートよりコンパクトなルートで東独の北部の町を巡ります。 リュー…詳細を見る -
三十年前のドイツ(60):東独がまだ「DDR」だった頃のあちらこちら -2- Salzwedel
三十年前のドイツ(59):「まだ東独のあちらこちら」からの続きです。 Bromeから東独に入り、北北東に進路をとって Salzwedelを目指します。 …詳細を見る -
三十年前のドイツ(59):東独がまだ「DDR」だった頃のあちらこちら -1- Bromeの越境地点
4月から日本人も国境でビザを発給してもらえるようになり、実質的に自由に東独に出入りできるようになりました。自分的にはもう毎週末にでも出かけたいところでしたが、家族で赴任しており、子供やカミさんが楽しめる場所というわけでは…詳細を見る -
三十年前のドイツ(58):Die Zeit das Ostdeutschland noch die DDR war 東独がまだ「DDR」だった頃
ご存知のように、東西に分かれて存在していたドイツは 1989年 11月 9日にベルリンの壁が崩壊し、翌年 1990年 10月 3日に西独が東独を吸収合併するような形で統一されることになるわけですが、この 11ヶ月は東独政…詳細を見る -
誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(11):ヴァイマール Weimar -1-
「看板に偽りあり」と叱られそうですが、日本人にはあまり知られていないドイツの町を紹介するこのシリーズで、何故だれでも名前くらいは聞いたことがありそうなヴァイマールなんだ? 実は前回ご紹介したアイゼナハは、かつてのザ…詳細を見る -
三十年前のドイツ(57):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ 最終回 ー12-
早朝5時起きでボイツェンブルクから東独に入り、ここまであちこちの街巡りを楽しんで、半日かけてロストックまで来て、さてそろそろ帰ろうか・・・ということになります。今更ながら地図をみて「なんじゃ、こりゃ?」と思うのですが、な…詳細を見る -
三十年前のドイツ(56):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー11-
三十年前のドイツ(55):Erste Rundfahrt durch die DDR 初めての東独の周遊ドライブ ー10-からの続きです。 西ドイツにも大きな集合住宅はありますが、それとは比較にならない、社会主義仕…詳細を見る