ドイツ放浪記(補足2):Essenの風景

エッセンの駅前にこんな(自分的にはちょっとそそられる(笑))建物がある。

「ハウス・デア・テクニーク、略してHDTは、エッセンに本部を置き、ベルリンとミュンヘンに支部を持つドイツ最古の独立系技術訓練機関である。1930年に開校し、1987年に歴史的建造物に指定されたエッセンの本館は、エドムント・ケルナーの設計によるもので、エッセン中央駅の北に位置し、1934年まで旧エッセン証券取引所として使用されていました」(独語 Wikipedia)

聖ゲルトルートは、エッセン市中心部の北にあるカトリックの教区教会で、第二次世界大戦後に再建された。

産業革命によるエッセンの人口増加により、修道院の廃止以来、教区教会として市内中心部の 2つのカトリック教区が共有していたエッセン・ミンスターが手狭になった。市街地北部の小教区である聖ヨハニス教会は、修道院廃止まで大聖堂の正面にあった聖ヨハニス教会を使用していたため、これは大聖堂に残されることになったが、宗教改革の結果、聖ガートルード教会を失った市街地南部の小教区のために新しい建物を建設しなければならなかった。

1872年から 1877年にかけて、アウグスト・リンクレークが設計した3階建ての新教会が、旧ヴィーホーファー・トーの近くに建設された。様式的には初期のゴシック建築を模しており、守護聖人ニヴェレのゲルトルードに捧げられている。第二次世界大戦中に破壊された教会は、エッセンの建築家エミール・ユングによって1955年まで再建され、大きな変更が加えられた。

教会の塔の高さは現在59メートルで、第二次世界大戦前は75メートルだった。

移民・難民に対応してハラル料理を出すアラブ系レストランや、髭を整える理髪店が町のイメージを形成している。

VRゴーグルを装着してヴァーチャルツアーをやっていると思しき一団が居た。彼らのゴーグルには何が映っているのだろう?「被爆撃都市鑑定士(笑)」の私としては、一部の教会などは被爆を免れたか再建されてはいるけれど、街中はかなりの被害を受けたものと見た。ラートハウス(市庁舎)はこんな風になってしまっている ↓↓

Von Tuxyso – Eigenes Werk, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=103195290

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