ドイツ放浪記(85):1981年 3月・・・あの彼はそこにいたのか?

1981年 3月のとある週末・・・1月にハンブルクに赴任したばかりの私は、職場の先輩に誘われてベルリンに出かけてみた。初めて「東西両陣営の国境を通過する」「初めて東側社会主義陣営に足を踏み入れる」・・・そんな緊張感あふれる初体験は、日本に生まれ育って国境というモノを見たことも越えたこともなかった自分に大きなインパクトを与えた。ところで今回、この写真を SNSにアップしたところ、ドイツ人の友人から「えっ?」という指摘を頂いた・・・はて?

ひとつは、自分でも最近気が付いていたものである。そもそもこの写真は 1981年 3月 29日の日曜日、西ベルリンから Check Point Charlieを通って東ベルリンを散策していた時に撮ったもの。戦前のベルリンの目抜き通り Unter den Lindenの東の端、ブランデンブルク門を西側から見るのとは反対側から見る場所である。

冷戦下の東ベルリン・・・とはいえ、うららかな春の日曜日の午前、ソ連赤軍の若手士官候補生と思しき一団が観光に来ており、それを西から来たと思しきカメラを持った観光客が複雑な思いで見ている・・・そんな、ある意味平和な時間が流れていた・・・と、この写真を撮ってから 30年以上、そう思い込んでいた。

最近、この写真を高解像度でスキャンして拡大してみたところ・・・西側からの観光客と思い込んでいたカメラをもった男は、実は私の方を鋭い眼光で見ていたということに気づいた。おお!そういうことだったのか!日本人に扮した西側の工作員(私のこと)が、ソ連軍の若手士官候補生と妙な形で接触しやしまいかと、東側の治安機関が監視していたというコトだったのか・・・それに気が付いたとき、思わずゾッとしたものである。

そして今回ドイツ人の友人が指摘したのは・・・同じ写真の右に写っているのは、若き日のプーチンではないか?ということ!まあ、そう言われてみれば似ていないこともないし、そうでもないように思える。

Wikipediaによれば「プーチンは1975年に同大学を卒業後、KGBへ就職する。KGB職員であるためにはソビエト連邦共産党への入党が条件だったため、プーチンは共産党員になっているKGBでは最初にレニングラード支部事務局、その後訓練を経て対諜報活動局に配属される。さらなる研修を受けた後、第1総局(対外諜報部)レニングラード支部に勤務する。そして外国で諜報活動を行うためにKGB赤旗大学で学び、1985年に東ドイツドレスデンへと派遣される。東ドイツには1990年まで滞在し、NATOをはじめとした政治関係の情報を集める諜報活動に従事したとプーチン自身は語っている」・・・とのこと。

東独(ドレスデン)に派遣されたのは 1985年なので、この写真を撮った 1981年は「Von 1975 bis 1982 war er KGBOffizier in der ersten Hauptabteilung (Auslandsspionage).」(独語 Wiki)に居てモスクワ勤務だったと思われる。しかし友人によれば、スパイ修行の一環でソ連赤軍士官候補生に成りすまして、東独駐留部隊に勤務するなんて普通にありうる話だ・・・とのこと。まあ、そういわれて不思議ではない。

はて・・・この若手士官候補生は若き日のプーチンだったのか?Telegramに流して訊いてみるかな?(笑)

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