ドイツ放浪記(37):首都ベルリンの戦没ソ連赤軍兵士の慰霊碑

この話題に触れるなら、まずは首都ベルリンのそれらから始めるのがモノの順序だろう。どこの国にも「祖国の為に戦って斃れた」戦没兵士の慰霊碑・慰霊廟・墓地は有るものだし、まあ有って然るべきものだろうし・・・日本にも(近隣諸国からいろいろ言われつつも)靖国神社や千鳥ヶ淵が存在する。ただソ連のそれはちょっと異質な部分があって・・・自国内ではなく、打ち負かした相手国・征服した国の中にそれを作ることであろう。

これは旧東ベルリンのトレプトウ公園の「Sowjetisches Ehrenmal im Treptower Park(トレプトウ公園ソ連栄誉碑)」。訪れたのが 2016年 3月の午後、天気がイマイチだったので画像のインパクトもイマイチだけれど、現地に立って受ける衝撃は半端ないものがある。

巨大な銅像は有名な「Soldatenstatue mit Kind und zerbrochenem Hakenkreuz」で、ソ連赤軍兵士が幼女を抱き鉤十字を踏みつけている=幼女はナチスからソ連解放軍兵士に救われた東独を象徴している。その台座部分にある部屋には、戦死したソ連赤軍兵士とそれを悼む家族や同僚のモザイク画が描かれている。

↑↑ これは 1981年 3月、私が初めてベルリンを訪問した時に撮った写真をスキャンしたもので、「Sowjetische Ehrenmal im Tiergarten(ティアガルテン地区のソ連栄誉碑)」。建設されたのは戦後すぐの 1945年だったようだが、1961年にベルリンの壁が構築された結果「西ベルリン」に存在することになり、英国軍が管理することとなったという「曰くつきの物件」である。ベルリンには、この2件の他に「Sowjetisches Ehrenmal in Schönholz」「Sowjetisches Ehrenmal (Berlin-Buch)」と合計4件が存在する。

まあ、いいんだけどさ(笑)自国兵士の多大なる犠牲の上に打倒して支配することになる敵国領土に、こういうモノを建設して、目に見える形で敵国国民をデモチベートしたい気持ちは分からないでもない。かつての敵国とはいえ、死者を悼む・冒涜してはならないという気持ちは万国共通のものではあるだろう。かつ、こういうものは条約で「撤去できない」ことになっているそうである。

とはいえ、ここまでやった事例は他には無いように思われる。映画「Private Ryan」のラストシーンに出てくるフランスのノルマンディの「Normandy American Cemetery and Memorial(ノルマンディー米軍英霊墓地)」は、他国にある米軍戦没兵士の大規模墓地だけど、それはノルマンディ海岸が戦いがあった場所ということで、フランスが敵国だったということではない。ドイツ人に、自分たちが支持したヒトラーの犯した愚を思い知らせるなら、ボンや西ベルリンにあってもおかしくはない。でも、それはない。

ソ連の支配下に置かれた旧東独の首都「東ベルリン」に、旧ソ連主導でこういうモノが建設された・・・これだけ巨大で、あの独裁者スターリンの名前まで刻まれているこういうモニュメント・・・ここまでやると東西ドイツが統一された今となっては「ああ、これも歴史の一コマだったんだね」という位置づけになり、観光名所としてその存在意義を変えている!Karl-Marx-Allee(旧 Stalinallee)や旧 Stasiの本部(Normannstrasse 5)と同様に統一ベルリンの観光集客装置のひとつとして観光客誘致に一役買っていたりするのだ。歴史の皮肉ですよね(笑)

ソ連の征服記念碑癖はドイツだけに留まらない。↑↑ はオーストリアの首都ウィーンに建設されたもの。映画「第三の男」に描かれているように、ナチスドイツに併合(Anschluss)されていたオーストリアのウィーンもまだ戦勝国によって分割統治されていたが、ソ連だけがこういうものを建てるのである。こちらは現在のウィーンの観光ガイドからはほぼ無視されているようである。

ドイツ放浪記(38):誰も知らない町の戦没ソ連赤軍兵士の墓地に続きます

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