カテゴリー:日記的備忘録
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ドイツ放浪記(78):トルン再訪・・・ここはどこだ?レベルの変貌
↑↑ と ↓↓ の2枚の写真は偶々同じ場所が写っている。まあ、かなりの規模の町で、かつ戦争で破壊された痕跡が殆ど見受けられないので、いずれ磨けば光るだろうとは思っていたけれど・・・本当に磨かれてピカピカに光ってい…詳細を見る -
ドイツ放浪記(77):トルン再訪・・・世界遺産となる前の旧市街
単身駐在だった時には、とにかく「行ったことが無い町を潰そう」とばかりに、同じ町を再訪することは稀で、行ったことのない町にドライブで出かけては地図に「行った!」印を増やしていた。 最近は「行ったことはあるんだ…詳細を見る -
ドイツ放浪記(76):エルビング Elbing Elbląg エルブロンク:隣人の故郷
東西ドイツの壁が崩壊して、旧東独をドライブしたのは勿論だが、それにもまして、住んでいた借家の大家さんの母親ディートリッヒ婆さんが「念仏のように」唱えていた「麗しのエルビング」に行ってみなければ・・・ということで、…詳細を見る -
ドイツ放浪記(75):東プロイセン博物館(リューネブルク)
何度か書いてきたけれど、東プロイセンへの思いが募った背景をもう一度書いておこう。下記は 1992年当時にしたためたメモからの抜粋である。 ------------------ リューネブルグで私達が借りていた家の庭…詳細を見る -
ドイツ放浪記(74):Pasłęk(Preußisch Holland)オランダ人が造った町
パスレクと呼んでしまいそうな字面だけれど、ポーランド語では「パスウェンク」という感じの発音となる。ドイツ名は Preußisch Holland(プロイセンのオランダ)・・・独語Wikipediaによれば「14世…詳細を見る -
ドイツ放浪記(73):Allenstein(Olsztyn)アレンシュタイン(オルシュチン)
大司教ベルンハルト・スクルテティは、アレンシュタイン城がポーランドから完全に独立していることを独立した形で主張できるよう、コペルニクスに銃と食料を支援した。防衛に成功したため、コペルニクスはワルミ…詳細を見る -
ドイツ放浪記(72):Deutsche Eylau はポーランド名では Iława
Gdansk(Danzig)から鉄道で私が目指す旧東プロイセンの町に行こうとすると、かなりの確率でここを経由することになる。事前の調査ではうっかり見逃していたんだけど、ドイツ名で「Deutsche Eylau(ドイチェ・…詳細を見る -
ドイツ放浪記(71):三角形のマルクト広場
また、ラートハウスの奥の方は湖らしいものが写っている。いいところなんだろうなあ・・・ということで、気になっていたところは全部行ってみる!の一環で、実際に行ってみた。 ↑↑ ↓↓ ラートハウス…詳細を見る -
ドイツ放浪記(70):要衝の橋
Gdansk(Danzig)の南方約 30km、ヴィスワ川に接して Tzcew(ドイツ名 Dirschau)という町がある。日本語 Wikipediaには「トチェフ」と書かれているが、現地では「チェフ」のほうが近い。この…詳細を見る