ドイツ放浪記(88):また来てしまったプラハ

プラハには 1994年に初めて来て以来、もう何度も来たことだろう。最初は、ある社外の3ヵ月の研修プログラムの一環で1ヵ月欧州行脚・・・その中で週末にミュンヘンに居た際に「プラハに行ってみよう」と思い立ち、研修仲間の Iさんとチェコ入国を試みた時である。

その時は列車での入国を試みたが Chebという国境駅ではビザを発行しておらず強制送還!その後、ヒッチハイクで Rosvadovの国境から入国を果し、そこからまたヒッチハイクと鉄道でプラハに辿り着いたという想い出深い初入国だった。

ちなみに Iさんはその後 S電工の社長・会長になられた方である(匿名にする意味はあるのか(笑))

プラハ中央駅から地下鉄に降りていく入り口!もちろん 1994年の印象と比べると綺麗にはなっているが、そんなには変わっていない。当時はこの少し先に学生と思しき連中が民泊を斡旋していた。プラハ市内のアパートの空き部屋を借り上げて、旅行者に民泊として安く宿を提供するというもので、我々もそれを利用した。当時の値段で2人で「70コルナ=2,800円」だったと記憶している。これで2人でで社会主義建築の 3LDKのアパートに泊まった。

ヴァーツラフ広場・・・最後に来たのはコロナも前だが、以前は真っ黒だった国立博物館もリノベーションされて磨かれて、すっかり白くなった。

有名なホテル「Jalta(ヤルタ)」・・・とはいえ、泊まったのはもう一つの有名な Ambassador。ここも、駐在中に独身の若い連中とドライブしていて、他にホテルが空いておらず、なんとか頼み込んで1室に4人で止まった記憶がある。懐かしい(笑)

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