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三十年前のドイツ(22):1989年9月初~中旬の状況
ハンガリー政府は遂に人道的見地から、国内に滞在していた万単位の人数の東独市民の出国を認めます。9月10日の日曜日の深夜、11日に日付が変わると同時に、どの国境検問所からを問わず、自分の行きたいところに出国していいという決…詳細を見る -
三十年前のドイツ(21):1989年9月初の状況
9月に入り、中欧ハンガリーやその周辺は秋の気配が濃くなり、天気も悪く寒くなってきています。私が住んでいた北ドイツでも、8月末には自動でスチームのスイッチが入っていました。ハンガリーに「休暇」という名目で滞在していた数万人…詳細を見る -
三十年前のドイツ(20):1989年8月末の状況
さて話を元に戻します。8月19日にハンガリーのオーストリア国境の町ショプロンで開催された「汎ヨーロッパ・ピクニック」を利用して東独市民が西側に脱出して以来、西独のニュースは「DDR Flüchtlinge」が毎回のトップ…詳細を見る -
お気に入りのホテル(8):MANNA(Nijmegen)
シリーズ8回目も、前回に続きオランダの Nijmegenという街にある MANNAというホテルです。駅から徒歩で10分以内、いつもスーツケースを転がして歩いて行きます。オランダによくあるレンガ造りの建物をリフォームしてホ…詳細を見る -
三十年前のドイツ(19):西独の子供向けテレビ番組 Die Sendung mit der Maus
東独の子供向け番組をご紹介したので、西独の代表的なものもご紹介しておきます。とぼけた味のネズミと、ゾウ、アヒルが、まったりとしたドタバタ劇を繰り広げます。日曜の午前中の放映で、東独情勢などが話題になる Pressshau…詳細を見る -
三十年前のドイツ(18):東独の国営テレビ番組 Unser Sandmännchen
ドイツでは(でも)子供が寝る前にお話を聞かせてあげるのは伝統です。この番組は英語に訳せば「われらの砂男(砂の小人)」というようなことになりますが、子供たちが寝る前に観る番組で、これを観ると「おやすみ」の時間というお約束に…詳細を見る -
三十年前のドイツ(17):東独の国営テレビ番組 Der schwarze Kanal(ブラック・チャンネル)
英語に訳せば「ブラック・チャンネル」ということになりますが、元々は「禁じられていた西独の放送(を観る)」という意味だったと思われます。東独では建国して間もなく、西側のテレビやラジオが受信できる機器を没収し、その後も継続的…詳細を見る -
三十年前のドイツ(16):東独の国営テレビのニュース Aktuelle Kamera
私が住んでいたリューネブルグは東独国境までの距離が20kmくらいと近かったせいか、テレビでは西独の番組の他に東独の国営放送を受信することが出来ました。西独のニュース番組では、毎日のように東独市民がいろいろな方法で西に脱出…詳細を見る -
三十年前のドイツ(15):汎ヨーロッパ・ピクニック あの場所は今?
1989年8月19日に、ハンガリーの最西部の町ショプロン(Sopron)で催された「汎ヨーロッパ・ピクニック」なるイベントで多くの東独市民が西側に脱出しました。これは Wikipediaに詳細な解説があるので是非ご参照く…詳細を見る -
三十年前のドイツ(14):汎ヨーロッパ・ピクニック(Paneuropäisches Picknick)
さて、8月19日に、ハンガリーの最西部の町ショプロン(Sopron)で「汎ヨーロッパ・ピクニック」なるイベントが企画されます。これは Wikipediaに詳細な解説があるので是非ご参照ください。また、これにはオットー・フ…詳細を見る














