誰も知らないドイツの町 Unbekannte deutsche Städte(71)★★★ ガルデレーゲン Gardelegen -7-

★★★ ガルデレーゲン Gardelegen -6- からの続きです

旧市街地を抜けて、かつては防護施設(濠)を構成していた緑地帯を歩きます。

VdN:ナチス政権迫害者(VdN)「ドイツ民主共和国において反ファシズム感情からドイツの ナチス政権を排除しようとした人々や、人種的、宗教的、その他の理由で迫害された人々に対する公式な呼称であった。VdNとして認定されると、多くの特権が与えられたナチス政権下で迫害された人々は、ドイツ民主共和国の国家機関から、医療、住宅、子供の就学援助などの支援や援助を受けることができた」(独語 Wikipedia)。そのモニュメントのようですが、GoogleMapでは何故か表示されません。

あまり詳しくは触れませんが、Gardelegenの郊外は第二次大戦末期に大量虐殺の悲劇が起こった場所でもあるのです。1945年4月、数千人の強制収容所囚人が、疎開したミッテルバウ・ドーラ強制収容所とハノーファー・シュテッケン強制収容所から、輸送列車や死の行進でアルトマルクへ、その多くはガルデレーゲンの町まで追いやられた。1945年4月13日NSDAP地区 指導者 ゲルハルト・ティーレの命令と地元市民の支援により、SSとドイツ国防軍、帝国労働局、地元のフォルクスシュトゥルム、ヒトラーユーゲントのメンバーが、イゼンシュニバー野戦納屋で 1,016人の強制収容所囚人を殺害した。このガルデレーゲンの虐殺は、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の最終段階におけるナチスの最大の死の行進と犯罪のひとつであった。(関心のある方はこちらをご覧ください

ガルデレーゲンは1995年に新ハンザ同盟に加盟し、1998年からはアルトメルキッシャー・ハンザ同盟に加盟している。破壊から275年後の2002年、ガルデレーゲンは新しいローランドを与えられた。その数ヵ月後、オットー・ロイターに敬意を表し、町の中心部にブロンズ像が建てられた。2008年5月28日からは、近代ハンザ同盟の一員として、再びハンザ都市の名を冠している。

★★★ ガルデレーゲン Gardelegen -7- に続きます

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