ドイツ放浪記(74):Pasłęk(Preußisch Holland)オランダ人が造った町

パスレクと呼んでしまいそうな字面だけれど、ポーランド語では「パスウェンク」という感じの発音となる。ドイツ名は Preußisch Holland(プロイセンのオランダ)・・・独語Wikipediaによれば「14世紀初頭、チュートン騎士団がドラウゼンゼー低地の端に城を築く以前から、すでにそこにはパズルクという名の集落が形成されていた。1288年、騎士団の地主であったマインハルト・フォン・クエルフルトがヴィスワ・デルタの堤防建設を命じられた際、オランダから堤防建設の専門家を呼び寄せた。そのうちの何人かがパズルクに定住し、ここを都市集落に発展させた。

1297年、マインハルト・フォン・クエルフルトは、ハンドフェステ(Handfeste)により、クルム法に従って町に町民権を与えることができ、その文書には、オランダ人が町の創設者(primi locatores)であり、町の名前は彼らにちなんで付けられたと記されている。その後、町はオランダと呼ばれるようになり、後にプロイセン・オランダと呼ばれるようになった」・・・というのが由来とのこと。

ちなみにポーランド語の地名は「プロイセン人のパシス・ルキス(pa-assis=「頂上の者」、lukis=「四分の一」、すなわち「指導者の四分の一」が語源)に遡り、例えば1393年の「ハインリクス・デ・カストロ兄弟(frater Heinricus de Castro alias Pasloci)」の年譜に記載されている」・・・とのことである。

堅固な城壁の一部が残っている。

↑↑ かつては城門に続く道路の両側に家屋が立ち並んでいたが、大戦で破壊されそのあたりは原っぱになっている ↓↓ 「第二次世界大戦末期、赤軍は1945年1月22日にプロイセン・オランダへの攻撃を開始し、その1日後に占領した。占領後、特に中心部で火災が発生し、古い歴史的な市街地や城が大きく破壊された」(独語Wikipedia)

Bartholomäuskirche

この教会のオルガンは変わった構造をしている。普通は左右対称に並ぶパイプ群が正面の祭壇と向かい合っているものだが、ここのは同じ形をしたオルガン2基が向かい合って設置されている。ヨーロッパの教会のオルガンはさんざん見てきたが、この構造をしたものは初めてである。

ウクライナに対する連帯を呼び掛けるバナー。駅にもウクライナ人に対する案内のポスターがある。

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