ドイツ放浪記(73):Allenstein(Olsztyn)アレンシュタイン(オルシュチン)

16あるポーランドの行政単位 Woiwodschaft(województwo)の中の Ermland-Masuren(warmińsko-mazurskie)の中心都市。分割されポーランド領となった旧東プロイセンの南半分の中心地として、Backsteingotikの宝庫でもある。


↑↑ Burg Allenstein(アレンシュタイン城):独語Wikipediaによると「1516年から1519年にかけて、ワルミア司教ルーカス・ワッツェンローデの甥で養子であったニコラウス・コペルニクスが管区長を務め、天文学者として有名になった。コペルニクスはこの時期、アレンシュタイン城に住んでいた。その証として、城の回廊の漆喰に描かれたアエキノクティウムを計算するための天文石版が今日まで残っている。

ポーランドとプロイセン最後のチュートン騎士団総長アルブレヒト・フォン・ホーエンツォレルンとの戦争が始まると、彼はフラウエンブルクに戻ったが、1520年秋に再びアレンシュタインに呼び戻された。

大司教ベルンハルト・スクルテティは、アレンシュタイン城がポーランドから完全に独立していることを独立した形で主張できるよう、コペルニクスに銃と食料を支援した。防衛に成功したため、コペルニクスはワルミア総監に任命され、その再建を任された。後にワルミア司教となるティーデマン・ギーゼが補佐役を務めた」・・・コペルニクスは地動説を唱えた天文学者という顔の他にこういう顔もあったんだ!

塔のある教会は縦位置で撮らなくては全体が収まらないので結構苦労する。創建当時はともかく、今は家屋が近接しているので後ろに下がって撮る余地がなく、また少し離れると家屋が邪魔になって撮れない。↓↓クリックするとスライドショーになります。

今回は再訪だけど、街の中心部は 1992年当時からは見違えるようなリノベーションが施されており、まだ進行中である。↓↓クリックするとスライドショーになります。

おお、ここにもあのホタテ貝マークが!スペイン北部の Santiago de Compostela寺院への巡礼の道・・・リトアニアの Kaunasに始まり、ここ Allensteinを通り、ドイツの Görlitzに続いていくルート上にある。しかし・・・なんと気の遠くなるような道のりであろうか!巡礼という宗教的情熱ってなんだろう?

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