ドイツ放浪記(48):Stammkneipe 行きつけの居酒屋と黒子兄弟

ここは駐在していた工場があった町の居酒屋で、自家醸造のビールを各種飲ませてくれる店。

1906年創業で、内装や雰囲気も、修行中の職人達の宿で時折黒い修行用の服を着た若者たちが屯しているところも、ドイツ風ボーリングレーンがあり、Bundeskegelbahnという表示がなにやら謎だったことも・・・今風のおしゃれな店とは対極にある、ちょっと古風なドイツらしい居酒屋。私にとっては「世界で一番好きな居酒屋」である。

1986年、欧州の日本製複写機ダインピング訴訟の経緯から、EC(現EU)圏内での現地生産工場を立ち上げることになった。

英独仏の立地候補地を精査して、最終的に当時販売会社があったハンブルク近郊のリューネブルクに工場を建設することになった。

上の写真は立地調査時のもので、左から先輩の Kさん(故人)・Niedersachsen州経済交通省の誘致担当官 Bernd・Lüneburg市の経済振興局長 Klaus・大野の4人。

当時、ここら辺は Zonenrandgebietといって旧東独との国境に近い辺境地帯。Niedersachsen州は南ドイツのようなハイテク産業が栄えていたわけではなく「die Lücke:空白地帯・ギャップ」等と揶揄されていたこともあり、また伝統的な繊維産業も衰退期にあったこともあって、日本企業の誘致には殊更力が入っていた。特段の誘致活動をしなくても日本企業がやってくる皆無ドイツやデュッセルドルフ近郊とは事情が違っていた。

そんな中、Klausは市当局の役人ではあったけれど前職は米国資本化学メーカーの営業マンで杓子定規な官僚とはノリが違っており、それは州の官僚の Berndも同様だった。一緒に仕事をして実に気持ちのいい仲間だった。

我々4人はそれぞれ州経済大臣・市長・役員などの上司がおり、彼らに気持ちよく意思決定をし、調印式や工場竣工式などの儀式で盛り上がって貰うための裏方仕事を協調して精力的にこなし「黒子ブラザーズ」と呼ばれていた(笑)「オーノ、クロコって何だい」「Puppenspieler:操り人形師さ、大臣や役員を操ってる(笑)」「クロコは偉くなると大臣や役員になるのか?」「いや、クロコが偉くなると『クロマク』になるんだ(笑)ドイツ語だと Graue Eminenzだな(笑)」・・・黒子兄弟でよく一杯やったのもこの Brauhaus Nolteである。

1986年当時、私は 33歳、Klausは 10歳年上の 43歳、州のエリート官僚だった Berndは 39歳だった。あれから 37年・・・Klausは 80歳の大台に乗り、Berndも 76歳、私も古希を迎えたけれど、今も親交が続いている。その後私はそのまま工場のマネジャーとして5年間駐在し、社長や技術屋さんの仕事以外のすべての案件を 30歳台後半で経験させてもらった。その経験が今の自分のベースとなっている。30歳台でそんな貴重な経験をさせてくれた会社には今も感謝している。

時は流れて・・・ドイツでの現地生産は中国工場に全て移管してその役割を終え、市に売却して・・・それがなんと今、リューネブルクを舞台としたドイツの人気ホームドラマ「Rote Rosen」の撮影スタジオとして使われている!確かに生産ラインを取っ払った広いホールは撮影セットを組むのにちょうどいいだろうし、ラック倉庫は撮影機材などを格納するのに好都合だろう。そして Klausのセカンドハウスはドラマのイメージシーンとして使われている。今やかつての工場や Klausのセカンドハウスはドラマの『聖地巡り』のスポット・観光資源として大いなる貢献をしているそうだ。時代は移り変わっても黒子ブラザーズの残したものはフォーエヴァー!(笑)

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