ドイツ放浪記(79):ブィドゴシュチュ Bydgoszcz (ポ)Bromberg(独)

ポーランドの主要な町を人口順で並べるとワルシャワ(179万人)・クラクフ(77万人)・ウッチ(67万人)・ヴロツワフ(64万人)・ポズナン(53万人)・グダンスク(47万人)・シュチェチン(39万人)・ブィドゴシュチュ(34万人)・ルブリン(33万人)・ビャウィストク (29万人)がベストテンとなる。これによれば、この町は8番目の順位だが、日本人にとっての知名度はかなり低いのでないだろうか?

町を歩いた感じでは、グダンスクや世界遺産のトルンなどに比べて「リノベーションの予算配分」は少ないのではないだろうかという印象である。確かに、所謂「旧市街広場(Stary Rynek)」周辺はきれいにリノベーションされているが、駅からそこに向かうメインの通り・・・ドイツなら Bahnhof Strasseに相当する Dworcowa通りの裏通りなどは、廃墟や壁のモルタルの崩れなどが随所に見られる。戦災は比較的軽微だったとのことなので、やはり社会主義時代の経済的な疲弊からの傷みなのであろう。

↑↑ 上は旧市街広場(Stary Rynek)の真ん中に立ってグルっと一回りした動画。↓↓ 下の絵葉書は 1920年頃のものだが、左手にある建物の特徴的なファサードは動画でも確認できる。その右手にある教会は Friedrich Schinkelが改築設計した Jesuitenkirche(イエスズ会教会)だが、ナチスの支配下で破壊された。

ポーランド語にも段々目が慣れてくる。「Stare Miasto」・・・Stareは old、Miastoは towmみたいな意味と、これまでの記憶の蓄積が言っている。旧市街みたいな意味なんだろう。確かプラハの旧市街も「スタレー・ムニェスト (Staré Město)」と言ったハズ・・・類似するスラブ系言語だかね・・・

旧市街広場にある下のモニュメントは・・・年号から推測するに、アレに関するモノだろう。FASZYZMUは「ファシズム」だろうな・・・OFIAROMは、独語の「OPFER(犠牲者)」ではなかろうか?とすると、文脈からは「1939-1944年のファシズムの犠牲者に捧ぐ」みたいな意味と想像される。

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