ドイツ放浪記(21):第二次大戦末期の悲劇の町は・・・その面影なく・・・

その歴史を知らなければ、旧東独のありふれた町のひとつ・・・まあ、街の住宅の殆どが旧東独様式の「Plattenbau」と呼ばれる安普請の箱モノであることから、第二次大戦ではかなり破壊されたんだろうなくらいの想像はつくけれど・・・。日本ではあまり知られてはいないが、実はこの町は第二次世界大戦末期に、ソ連赤軍の報復攻撃・掠奪を恐れた住民が集団ヒステリー状態に陥り、1,000人規模で集団自殺した町・・・

Wikipedia(独語版)の地図でみるとこの町は3本の川に囲まれており、退却するドイツ軍がソ連赤軍の進軍を遅らせるため、橋をすべて爆破してしまった後は、住民は東から進軍してくる赤軍に対して「袋のネズミ」状態となり逃げ場を失う。

1945年 4月 30日に町は無血でソ連赤軍に占領されたが、赤軍の将校が毒殺された報復の為、大規模な破壊、放火、強姦が発生した。更なる残虐行為と勝者の復讐を恐れた数多くの住民・難民(大半が女性とその子供達)が首を吊ったり川での入水自殺をした・・・

この事件は、旧ソ連の体制下に組み込まれた旧東独時代はあまり語られることは無かったが、最近では極右政党(NPD)他、各種団体が「葬送行進」「記念行進」どいう名目でイベントを行い、この悲劇を利用しているそうである。

私が訪問した日、2023年 5月 13日は「全国吹奏楽祭り(Landesposaunenfest)」というイベントが行われており、州の内外から吹奏楽ファンが楽器を持ち込んで演奏やお祭りを楽しんでいた。私はビールを吞みながら Schwerinで学校の先生をやっているという、同年代の女性と仲良くなり、その友人たちと誘われるままにイベントに参加した。楽器ができると楽しかっただろうなあ!

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