- 2025-6-9
- 日記的備忘録
国境あちらこちら(3):ポーランド・ロシア国境 その3からの続きです
東西ドイツの壁が崩壊して、旧東独をドライブしたのは勿論ですが、それにもまして、住んでいた借家の大家さんの母親ディートリッヒ婆さんが「念仏のように」唱えていた「麗しのエルビング」に行ってみなければ・・・ということで、頑張ってドライブしてみました!画像はクリックすると拡大します。↑↑ 若かりし頃の私です(笑)
↑↑ ディートリッヒ婆さんは、こういう美しく、繁栄していたエルビングに暮らしていたのでしょう。だが・・・私が見たエルビングは、なんとか修復のなったニコライ教会(ポ語:聖ミコヤワ教会)を除いては、その周囲は戦争で破壊されたまま放置され、原っぱになっていました ↓↓ Wikipediaによれば、エルビングで破壊された家屋の煉瓦はワルシャワやグダンスク(ダンツィヒ)の再興を優先させるため持ち去られていたとのことです。何枚か写真を撮りましたが・・・ディートリッヒ婆さんの想い出を壊してはいけない・・・と思って、これらの写真は見せることができませんでした。
2024年に行ってみると、街は見違えるような状態に修復されていました!
修復は地道に煉瓦を積み上げるのではなく、↑↑ こういう感じで行われたようですが、まあ放置されるよりヨシとしよう!↓↓ それにしても戦前のエルビングのなんと美しいことか・・・↓↓
そしてこの時に「折角だからあと 50kmほど走ってロシア国境まで行ってみようと思い立ち、到達したところが Braniewo(独:Braunsberg)という町の先にある Gronowoの国境だったというわけなのです。
この時はこにかく国境まで急いでいたので、Braniewo(独:Braunsberg)の町は通過しただけで立ち寄らずじまいでした。また後で知ったのですが、少し手前、Braniewoから 7kmのところにある Frombork(独:Frauenburg)はあのコペルニクスの出身地であり素晴らしい大聖堂がある・・・それを知ってますます「こりゃあもう一度行ってみなければ!」という想いが強くなったので・・・今回の放浪でカバーしたという次第です。
しかし・・・ポーランドの国境警備隊の兵士にこういう背景をちゃんと説明してわかってもらおうなんてちょいと無理筋ですよね(笑)
国境あちらこちら(5):ポーランド・ロシア国境 その5に続きます