カテゴリー:日記的備忘録
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ドイツ放浪記(74):Pasłęk(Preußisch Holland)オランダ人が造った町
パスレクと呼んでしまいそうな字面だけれど、ポーランド語では「パスウェンク」という感じの発音となる。ドイツ名は Preußisch Holland(プロイセンのオランダ)・・・独語Wikipediaによれば「14世…詳細を見る -
ドイツ放浪記(73):Allenstein(Olsztyn)アレンシュタイン(オルシュチン)
大司教ベルンハルト・スクルテティは、アレンシュタイン城がポーランドから完全に独立していることを独立した形で主張できるよう、コペルニクスに銃と食料を支援した。防衛に成功したため、コペルニクスはワルミ…詳細を見る -
ドイツ放浪記(72):Deutsche Eylau はポーランド名では Iława
Gdansk(Danzig)から鉄道で私が目指す旧東プロイセンの町に行こうとすると、かなりの確率でここを経由することになる。事前の調査ではうっかり見逃していたんだけど、ドイツ名で「Deutsche Eylau(ドイチェ・…詳細を見る -
ドイツ放浪記(71):三角形のマルクト広場
また、ラートハウスの奥の方は湖らしいものが写っている。いいところなんだろうなあ・・・ということで、気になっていたところは全部行ってみる!の一環で、実際に行ってみた。 ↑↑ ↓↓ ラートハウス…詳細を見る -
ドイツ放浪記(70):要衝の橋
Gdansk(Danzig)の南方約 30km、ヴィスワ川に接して Tzcew(ドイツ名 Dirschau)という町がある。日本語 Wikipediaには「トチェフ」と書かれているが、現地では「チェフ」のほうが近い。この…詳細を見る -
ドイツ放浪記(68):Marienwerder ・・・ドイツ人とは?ポーランド人とは?
ポーランド語の Zamekとは「城」という意味らしいが、標識のドイツ語は博物館(Museum)とある。絵葉書か記念品でも買おうと立ち寄ったら数人のスタッフらしい人達がいた。正面に居たかなり…詳細を見る -
ドイツ放浪記(67):そして念願の Burg Marienwerderにやってきた!
そして遂にここにやってきた! 思えば、1987年にリューネブルクに駐在して、少しばかり独語ができたこともあって渉外も担当することになり、鳴門市と姉妹都市であることから日本と交流を続けていた地元の独日協会(D…詳細を見る -
ドイツ放浪記(66):Gdansk(Danzig)の繁栄ぶり
初めで Gdansk(Danzig)訪れた 1992年は、ベルリンの壁が崩壊してまだ3年・・・ポーランドはその前からワレサ議長率いる民主的労働組合「連帯」などの運動も奏功し、政治的には民主化が進んではいたが、経済的にはま…詳細を見る -
ドイツ放浪記(65):Gdansk(Danzig)の 31年後
今回、31年ぶりに訪問した Gdansk(Danzig)・・・もう、様変わりもいいところだったんだけど、まずは 32年前に撮った写真と概ね同じ場所の写真を対比させておこう。 ↑↑ 英語では Long Mar…詳細を見る