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三十年前のドイツ(10):東西ドイツ国境の画像 Berliner Mauer
ベルリンの壁が崩壊して三十年になります。下記は1981年3月、壁が構築されてから二十年後、ハンブルグに駐在した私が、職場の同僚と初めてベルリンに旅行した時のメモです。鉄のカーテンの向こう側、社会主義国に初めて入った興奮が…詳細を見る -
三十年前のドイツ(9):東西ドイツ国境の画像 -その6- Harz(ハルツ)
一気に飛んでしまいますが、Harz(ハルツ山地)の国境です。 いまでこそ東西の国境は、ニーダーザクセン州とザクセンーアンハルト州の州境になって特段の管理はありませんが、当時はブロッケン山(霧の中に自分の影が映る…詳細を見る -
三十年前のドイツ(8):東西ドイツ国境の画像 -その5- Zicherie-Böckwitz
Zicherieは私の住んでいたリューネブルクから南南東に約90km、車で約一時間半のところにある、人口300人程度の国境の集落です。戦前は隣の集落 Böckwitzと実質的に一体をなしており、親戚も多く、Zicheri…詳細を見る -
三十年前のドイツ(7):東西ドイツ国境の画像 -その4- Dömitzer Brücke(ドェーミッツの橋)
この場所に初めて行った時の衝撃は今も覚えています。Dannenbergというエルベ川沿いによくある、ちょっといい感じの町に行き、そこから東独方面に車を走らせると「エルベ川の真ん中で道路が途切れている橋」があります。橋のた…詳細を見る -
三十年前のドイツ(6):東西ドイツ国境の画像-その3- エルベ川に沿って
さて、北の端から東西ドイツ国境に沿って南下してくると、Launenburg(ラウエンブルグ)という町でエルベ川に出会います。ここから Schnackenburg(シュナッケンブルグ)まで、約100kmに亘ってエルベ川が東…詳細を見る -
三十年前のドイツ(5):東西ドイツ国境の画像 -その2- 東西国境らしい風景
湖の岸辺だけが西独領という不思議な国境から少し南に下ったところに、東西国境では最も北にある Schlutup国境検問所があります。勿論ビザを持っていないと東独には入れないので、手前に車を止めて、おっかなびっくり少しだけ踏…詳細を見る -
三十年前のドイツ(4):東西ドイツ国境の画像 -その1- 最北の国境線
日本にいると「物理的存在としての国境」を見ることはありません。従って初めてベルリンの壁を見た時には衝撃でしたが、それは東西ドイツ国境も同じこと。最初の駐在地はハンブルクでしたが、日本からの来客があると「リューベックという…詳細を見る -
三十年前のドイツ(3):東西ドイツ国境の構造
東西ドイツ国境やベルリンの壁は、単なる金網のフェンスやコンクリートの壁だけで成り立っているほど単純なものではありません。その背後には何重にも逃亡者を阻止する仕掛けが張り巡らされていたのです。 下の動画はベルリンの壁…詳細を見る -
三十年前のドイツ(2):そもそも東西ドイツ国境とは?
まずは、東西ドイツの分割とはどういうものかを確認しておきましょう。ベルリンの壁が構築されたのは1961年8月、私が小学校2年生の時です。ディズニー映画を見に行った映画館で、映画に先立って放映されたモノクロのニュース映画で…詳細を見る -
三十年前のドイツ(1):Deutschland vor dreißig Jahren
私が初めてドイツのハンブルグに赴任した1981年、ドイツの公共放送 ARD(Allgemeine Deutsche Fernsehen:ドイツの NHKのようなもの)で「Vor vierzig Jahren 四十年前」と…詳細を見る