ドイツ放浪記(補足1):Essenのシナゴーグ

ドイツ語を齧った方なら「エッセン」というと「食べる essen」という動詞を思い出すかもしれないが、「エッセンという名前は「アストニデ(Astnide)」という言葉に由来しており、9世紀から文献に残っているが、おそらく起源はもっと古い。これは「東の地」と解釈され、ウェステンドルプという集落がその対極にあった」とエッセンの歴史サイトにある。デュッセルドルフから電車で 30分前後のアクセスで、デユッセルドルフにホテルが取れない時は穴場かもしれない。ケルン、デュッセルドルフ、ドルトムントに次いで、ノルトライン=ヴェストファーレン州(NRW)第4の都市であり、地域の中心都市のひとつである。またルール工業地帯の中心で、鉄鋼財閥クルップ家の拠点でもあった。

いろいろ紹介したいものは有るんだけれど、取り敢えずはこの旧シナゴーグ(Alte Synagoge)。「旧シナゴーグ(当初はステーラー・トーアのシナゴーグとも呼ばれた)は現在、エッセンのユダヤ文化の拠点となっている。旧シナゴーグは、エッセン市庁舎にほど近い、市の中心部ステーラー通り29番地にある。

2010年 7月 13日に改修工事を終えてユダヤ文化の家として再オープンしたこの施設は、戦前のユダヤ人コミュニティの旧シナゴーグの建物を利用している。シナゴーグと隣接するラビの家は、建築家エドムント・ケルナーの計画に基づき、2年の建設期間を経て 1913年に完成した。今日、この建物は、戦前のユダヤ文化を伝えるドイツで最大かつ最も保存状態の良い建築物のひとつとなっている。

1938年11月9日と10日の夜、11月のポグロムでシナゴーグの内部は放火によって大きな被害を受けた。外観はほとんど無傷であった。巨大な鉄筋コンクリート造りのため、国家社会主義者たちは彼らの計画に反して建物を取り壊すことができず、周囲の家屋のために取り壊しも不可能だった。建物は第二次世界大戦中も大きな被害を受けることなく生き残った。」(独語 Wikipedia

展示物の中に、著名なユダヤ人の写真がある。

中段のアンネ・フランク Anne Frankはあまりにも有名だが、上段中央はドレフュス事件の当事者「アルフレド・ドレフュス(Alfred Dreyfus)」、その左は元スイス連邦の女性大統領「ルート・ドライフス Ruth Dreifuss」である。

アンネ・フランクはさておき、いずれも各界で活躍した(している)有名人ですが、何人ご存じですか?

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