ドイツ放浪記(107):ウィーンの街歩き(15)

3階にも展示室があるが、ここは社会民主主義者の「Hall of Fame」みたいな感じで(違)当時活躍した知名な政治家や理論家達の像が展示されている。下のサムネイルをクリックしスライドショーとなったところで最初から順に Ferdinand Lassalle, Jakob Reumann, Otto Glöckel,Karl Seitz, Engelbert Pernerstorfer, Robert Danneberg・・・まあ、ドイツならともかくオーストリアの社会民主主義政治家はあまり知られていないとは思われるが、赤で示した人物には日本語 Wikipediaに記事がある。

1918年の第一世界大戦後、ドイツでは皇帝ヴィルヘルム2世が退位した後、左右の勢力が入り乱れてドイツ革命が起こり、紆余曲折の末に成立したワイマール憲法の下でワイマール共和政となり(ワイマール共和国という国家は存在しない)、一方オーストリアでは社会民主党がほぼ一貫して主導権を握ってオーストリア革命を起こしハプスブルグ家の皇帝カール1世を退位に追い込み「オーストリア第一共和国」体制が確立した。

しかし、国家レベルでは保守対抗勢力のキリスト教社会党との対立が激しくなり 1920年には主導権を失い、その後 1938年のナチス・ドイツによる併合(Anschulss)に繋がっていく。そんな中、首都ウィーンだけは終始、社会民主党が主導権を握り、ナチスに併合されるまで福祉に重点を置いた政策を維持する努力を続けた。戦後の第二共和国の成立後もウィーンに於いては社会民主党が一貫して主導権を握っており、そういう意味では現在も「赤いウィーン」と反対勢力から揶揄されることがあるという。

こういう展示は、その当時の熱気をよく伝えているが、自分のような年代にはちょっと不思議な感慨を呼び起こす。ドイツのワイマール共和政やオーストリアの赤いウィーンの時代・・・1920年代前半といえば、今から思えば 100年も前の・・・旧い出来事。2023年の今からすれば全く別の時代の話である。

しかしながら、1953年生まれの自分にとっては誕生の時点から高々 30年前の話なのである。まあ、物心ついて政治や歴史に少しは関心を持ち始めるのが高校生や大学生の頃 1970年代前半として、そこから遡ること高々 50年前に起こったことなのだ。間に第二次世界大戦という大混乱があったとはいえ、昭和の世の中の空気はその時代と不連続ではなかった。そこから今日に至る 50年の間には逆に戦争などという大混乱は無かったのに・・・なんなんだろう、この令和とあの時代の不連続感は?

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